ウィキペディアの「抑止力」の項目はあまりに貧弱で、この問題を深めるには役立たない。だが、抑止力の3要件は正確に書かれている。この連載でも示した「懲罰的抑止」のことであるが、以下のようになっている。

 

「抑止力が成立するには、次の3つの要件を満たしている必要がある。

1.相手が耐えがたいほどの報復(懲罰、攻撃)をする能力を持つこと

2.相手に対する報復(懲罰、攻撃)をする意思を明示すること

3.相手が1および2を理解していること」

 

 このうち、1については、この連載でも述べてきた。侵略すれば相手を壊滅するほどの打撃を与える、そのためには核兵器さえ使うというのが、抑止の出発点であり本質である。

 

 2についても、半分は紹介してきた。いくら能力があっても、使わないなら、相手を抑止することはできない。だから、相手の目の前で軍事訓練を展開したりして、いざという時には使うことを明確にするわけである。

 

 問題は、2の残り半分と3である。いざとなったら相手に壊滅的打撃を与えるというこちらの「意思を(相手に)明示する」ことが大事で、さらに「相手が(それを)理解していること」までも含めることによって、ようやく「抑止力」が成り立つということである。

 

 日本で「抑止力を強化しなければならない」と政治家が語り、国民の多くも納得しているけれど、その理解にはこういう概念はあまり含まれていない。多くの場合、抑止力は軍事力と同義語であって、相手を黙らせるだけの軍事力を強化できれば、それを「抑止力が強化されたから安心だ」と勘違いしている人が少なくない。

 

 抑止力とはそういうものとはまったく異なる。くり返しになってしまうけれども、いざとなったら相手に壊滅的な打撃を与えるだけのこちらの能力だけでなく「意思」、そして相手の「理解」があって、はじめて抑止力になるのである。前回、抑止力の要素として「コミュニケーション」をあげたが、それはこういう意味なのだ。軍事力を強化することとは違うのである。

 

 ここを理解してもらうため、まず1つの例を挙げる。例えば、テロリストには抑止力は効果がないと言われる。それもテロリストとは「コミュニケーション」が成り立たないからだ。お前を壊滅するといくらこちらが叫んでも、相手がどこにいるのかも分からないので、「意思を明示した」ことにならない。もちろん、攻撃されれば多少の犠牲があること程度は「理解」するだろうが、住民のなかに潜んでいるテロリストを攻撃すれば、住民のなかに犠牲者が出て、新たなテロリストが生まれることになる。攻撃を恐れない相手には抑止力は効かないのである。(続)