日本共産党中央委員会御中

私に対する除名処分は規約上の重大な瑕疵があるので、一時的な執行の停止を求めます

二〇二三年三月六日 松竹伸幸

 

2、「支部委員会の同意」という虚構が前提とされている問題

 

 「処分通知書」では冒頭で、私の除名処分について、「当該職場支部委員会の同意のもと、党規約第五〇条にもとづき、南地区委員会常任委員会として決定した」と書かれています。ここでは、私の所属する支部委員会が処分に同意したかのように描かれていますが、まったく事実ではありません。

 

 支部委員会はそもそも私に対する除名処分への同意を求められていません。処分の決定後、地区委員会から支部委員に対して電話がありましたが、そこでは地区が処分した事実と、翌日の京都府委員会の会議で承認されるという事実が伝えられただけです。ですから、私の所属する班を担当する支部委員は、処分通知書を見たあとで、この部分は事実と異なっているので同意できない旨を地区委員会に伝えています。

 

 さらに、同じ支部委員は、私が鈴木元氏の本を私の本と同時期に出すよう調整したことが「分派」として除名理由になっていることについて、地区委員会に不同意であることを伝えています。同時期に同種のテーマを揃えて出版することは、本の話題性を高め、販売促進につながるからです。そんなことが分派として処分されることになるなら、この出版不況の折、出版社の仕事は成り立たないのです。だから、私の行動は、出版社の社員としては批判されることではなく、逆に誉められるべきものだと地区委員会に伝えたそうです。

 

 いずれにせよ、支部委員会が処分に同意したという「通知書」の記述は、完全に事実に反しています。そもそも地区委員会が直接に処分を決める場合、規約上は支部の同意など不要なのですから、地区が同意を求めるはずもないのです。この部分は処分理由と直接には関連のないものですが、処分される党員にとって重大な意味を持つ「通知書」のなかに虚偽が書かれていること、しかも長年の同志が私の除名に同意したかのような虚偽が書かれていることは、当事者としてはたまったものではありません。

 

 従って、この部分は削除されるべきです。そのためだけにでも、地区委員会と府委員会の開催が必要です。

 

 私の推測ですが、「通知書」が言いたかったことは、支部委員会が処分に同意したということではなかったのだと思います。処分は党支部が行うという規約の通常の手続通りではなく、地区が直接に調査と処分を実施することについて、支部委員会の同意を得たということだったのでしょう。そのことなら、確かに地区から同意を求める電話はありました。

 

 しかし、この問題では、支部委員会の会議は開かれていません。支部長はそれこそ「特別の事情」があるので、自分では判断できないと答えたところ、地区委員会が複数の支部委員に電話をかけて了解をとったと聞いています。

 

 党規約は、「除名は、党の最高の処分であり、もっとも慎重におこなわなくてはならない」(五四条)と定めています。「特別の事情」下で地区委員会が直接に処分することについて支部の同意を得る場合も、地区委員会がやるべきことは、支部長も含めて支部委員会の会議が開かれるよう、しっかりと指導することだったと考えます。個別の支部委員に電話をかけて了承をとるなどというやり方は、規約の求める「もっとも慎重に」という精神と逆行するものと言わざるを得ません。

 

 いずれにせよ、今回の処分そのものに「支部委員会の同意」があったかのように言うのは、完全に事実と異なります。党員の処分を決める文書に誤りがあることは許されません。府委員会、地区委員会とも、会議を開き直し、該当箇所を削除するか訂正するよう求めます。

 

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〈党中央の返事をふまえた私のコメント〉

*党中央規律委員会の返事では、手紙で私が問題にした「支部委員会の同意」とは、私が「推測」して述べているのと同じで、「処分を地区委員会がおこなうことについてのべたものであり、処分の内容を意味するものではありません」とされています。私を処分すること自体には支部委員会が同意していないことを認めたのです。当然のことでしょう。私は、支部に所属していたし、除名後も支部の党員と話すことがあるので、支部委員会が私の処分そのものに「同意」していないことを知っているから、手紙でそう述べたのです。

 しかし、処分通知書を見た全国の党員は、そういう事情を知らないので、処分そのものに支部委員会が同意したものだ、「松竹というのは、支部の同志からしても処分されて当然の人間なのだ」と思わされることになります。「(処分は)「当該職場支部委員会の同意のもと、党規約第五〇条にもとづき、南地区委員会常任委員会として決定した」という処分通知書の記述が、そういう誤った解釈を生み出すように意図的に作成されたものなら、処分への党員の支持を得るためには、こんなに効果的なことはないでしょう。

 でも、共産党たるもの、そんな姿勢でいいのでしょうか。私への党員の批判をかき立てるためには間違った記述を残すような党では、国民の支持は得られません。逆に、間違った文章はいさぎよく修正・削除してこそ、この党には未来があると感じることになるのではないでしょうか。