みなさま

本日は記者会見にお招きいただき、ありがとうございます。

ご存じのように私は、日本共産党に党首選挙の実施を求め、実現した際は立候補することを表明した本を刊行したことをきっかけに、共産党から除名されることになりました。現在、復党することをめざし、来年の1月に開かれる党大会での再審査を求める準備をしています。

 外国メディアの方が本日なぜ私を招いてくれたのか、この問題にどんな関心を寄せているのか、率直に言ってよく分かりません。冷戦終了後、世界の多くの国で共産党は後退し、崩壊したりしており、共産党自体への関心が減退していると思うからです。ましてや、私をめぐる問題は、共産党の内部の1つの小さな問題に過ぎないというのが、外から見える風景ではないかと思われます。

 しかし、私自身は、この日本で自民党政治への対抗軸をつくるためには、日本共産党の役割が不可欠だと考えています。そのためには共産党の自己改革が必要であり、党首公選の実施はそのための大事な手段になると思っています。本日は、なぜ私が共産党にそのような高い評価を与えているのか、どんな改革が必要なのかについてお話しします。

 

 この場に参加されるメディアの方なら、日本共産党が早くから、ソ連共産党などから指図を受けない自主独立の路線を確立していたことはご存じでしょう。私も1980年代、共産党傘下の日本民主青年同盟国際部長を務めていましたが、国際会議の舞台ではソ連代表を前にして、核軍拡競争の一翼を担っていることを批判したり、アフガニスタンからの軍隊撤退を求めたりしたので、東欧をはじめソ連派の参加者からの猛反撃を受けたものです。どんなに批判されても屈するなというのが、日本共産党からの指令でした。ソ連が崩壊した際、日本で共産党が共倒れしなかったのは、ソ連の覇権主義を誰よりも批判してきたという党員の誇りがもたらしたものでした。

 ソ連や中国の言いなりにならないということは、日本でどんな政治変革の道筋を進むかについても、日本の実情にあわせて、日本共産党自身が考え、確立してきたことを意味します。社会主義を直接にめざすのではなく、民主主義が徹底される日本の実現を当面の課題としたことは、国民の支持を広げる上でも、他党との協力関係を確立する上でも、大事な決断でした。

 この日本共産党が現在、大きな岐路に立っています。政治路線、組織路線の両方においてです。私が立候補したのは、この二つの点で自己改革ができれば、共産党が日本の政治を変えるための中心的な役割を果たすことができると思うからです。それぞれについてお話しします。

 

 政治路線の面では、日米安保条約と自衛隊をどう位置づけるかが問題です。

 共産党の綱領も大会決議も、将来的には安保条約を廃棄し、自衛隊を解消することとしています。それには私も賛成です。軍事同盟というのは、NATOの東方拡大を口実にロシアがウクライナを侵略したことでも分かるように、軍事的な緊張をもたらす要因となっており、いずれ世界からなくして国連中心の集団安全保障体制を確立しなければなりません。また、マルクスがめざした共産主義は、国家権力のない社会のことであり、軍事力もなくなるのであって、自衛隊も不要になるのが理想であることは言うまでもありません。

 ただし、そういう中長期的な段階に至る過渡期において、日米安保と自衛隊をどう位置づけるのか。それが共産党が悩んでいるところであり、私が今回の本で提起したところでもあります。

 共産党の大会決議は、軍事力のない社会に至る道筋を三つの段階に分けており、第一段階では日米安保も自衛隊も存在していることが前提とされています。綱領も同じ立場です。しかし、この段階でどんな政策をとるかは、綱領も大会決議も明らかにしていません。

 私は今回の本で、この第一段階では、「核抑止抜きの専守防衛」を共産党の政策にすべきだと提唱しました。そうしたら共産党から、「松竹は日米安保を堅持すると主張している」「自衛隊合憲論を提唱した」「専守防衛は憲法違反だ」「松竹の立場は綱領に違反するものだ」と批判され、除名の一因とされましたようです。しかし、私の立場と共産党の立場には、そんなに大きな違いがあるわけではありません。

 

 例えば、「専守防衛」とは、侵略された場合には自衛隊によって最小限度の反撃を行う立場のことに他なりませんが、それは共産党が2000年の大会で決めたことです。最近も志位委員長は、「万が一、急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めて、あらゆる手段を行使して国民の命と日本の主権を守り抜くというのが日本共産党の立場だ」と述べました(22年4月7日)。

 日米安保条約に関しても、違いは大きくありません。志位氏は、7年前(2015年10月29日)の外国特派員協会のスピーチで、記者から「仮に日本有事が起こった際には、安保条約の発動を求めますか」と問われました。志位氏の答えは、「その時には、安保条約第5条で対応します」というものでした。最近の著作(『新・綱領教室』)のなかで志位氏は、安保条約について、「国民多数の合意がない時に廃棄することはできないし、やりません。…ですからどうぞご安心ください」とまで述べています。

 この同じ著作で志位氏は、自衛隊を憲法でどう位置づけるかについて、次のようにも述べています。

 「野党連合政権としての憲法判断は『自衛隊=合憲』論ということになります」

 「(共産党主導の)民主連合政府ができたとしても、自衛隊が存在している過渡的な時期は、『自衛隊=合憲』論をとることになります」

 私と志位氏の違いは、おそらく一つしかありません。一方の志位氏は、第一段階において侵略されたら日米安保も自衛隊も使うと明言しているが、共産党の基本政策はこの段階でも安保廃棄と自衛隊解消だとしています。他方の私は、そういう立場では国民に説明がつかないので、安保も自衛隊も使うというなら、それにふさわしい政策を確立すべきだと考えている。それが「核抑止抜きの専守防衛」なのです。私は、共産党を混乱からすくい上げようとしただけなのです。

 

 共産党の混乱には原因があります。共産党は現在、2004年と2020年に確立した綱領にもとづいて活動していますが、すでに過去のものとなった1961年綱領の考え方が、いまだに否定的な影響を与えている面があるのです。

 61年綱領は冷戦時代の産物です。アメリカ帝国主義が日本の独立と主権を侵害し、日本を足場に世界で戦争政策を遂行しているとする一方で、ソ連などの社会主義陣営を平和勢力だと規定していました。この見地からは、当然の結論として、日米安保条約の廃棄が即時に実現すべき中心課題として打ち出されます。

 しかし、現実の戦後政治においては、アメリカと並んでソ連も世界各地で戦争を引き起こし、各国の人々を抑圧してきました。日本の共産党は、すでに述べたように、そうしたソ連の誤りを確固として批判してきましたが、冷戦の終了は綱領の見地の抜本的な見直しを求めることになりました。

 現在の綱領は、アメリカをなお帝国主義と位置づけています。しかし、旧綱領とは異なり、「アメリカの行動に、国際問題を外交交渉によって解決するという側面が現われていることは、注目すべきである」とも規定しています。また現綱領は、ソ連の崩壊を「歴史的な巨悪の崩壊」と位置づけました。また、中国などを念頭において、「大国主義・覇権主義」だとして批判をしています。

  戦後世界政治が大きく変化し、先ほど述べた安保と自衛隊が存在する「第一段階」は、かなり長期のものとなることが予想されます。党の綱領も世界の変化にあわせて修正されているのですから、第一段階で安保廃棄・自衛隊廃棄を基本政策とするのではなく、変化にふさわしい政策を掲げるべきです。台湾有事のことを想定しても、日米安保によって日本が戦場となることは避けなければなりませんが、何よりも直視しなければならないのは、共産主義を自称する中国が台湾を武力解放する方針を持っていることであり、日本共産党に第一義的に求められるのはその方針を撤回させることです。

 この方向で共産党が変化すれば、国民からも信頼されます。他の野党と政権をともにするための「共通の土俵」ができるでしょう。

 

 組織路線でも共産党には大きな改革が求められています。意外だと思われるかもしれませんが、私は今回の本のなかで民主集中制を批判していません。党首公選を行うことによって、現在の共産党が抱える問題点を克服しようというのが、私の現在の立場です。

 日本の共産党がこれまで民主集中制を採用してきたのは、歴史的な理由があります。ロシア革命を源流として各国の共産党が誕生したことに加え、日本の場合、第二次大戦後の占領軍の弾圧を受けたこととも関連し、長期にわたる分裂を余儀なくされたからです。

 しかし、共産党がもっと国民に近い存在になろうとすると、組織のあり方は抜本的に見直す必要があります。外国メディアの方が共産党の支部(職場や地域ごとに存在している)を訪ねてみれば、共産党員は個性も自由もある存在だと分かるはずです。私が所属していた支部でも、選挙に負けたあとの会議などでは、「志位さんは長すぎる」「もう辞任したらどうだ」などの話が活発に交わされます。外交や防衛、経済、社会保障政策をめぐっても、綱領の枠内ではあっても、党員ごとにいろいろな異論が存在しています。共産党が2000名を超える地方議員を擁しているのも、議員が個性を発揮し、住民と深く結びついているからです。

 ところが、内部の問題を外に持ち出さないという規約があるため、国民からは共産党の多様性が見えてきません。共産党は異論を許さない政党、一枚岩の政党だとみなされており、国民から遠い存在になってしまっています。党首公選は、政策の違いを堂々と国民の前で争うものですから、その現状を克服することになります。

 党首公選を採用すると、多数派を獲得しようとする動きが出るので、内部に派閥・分派が生まれるというのが、党中央の見解です。しかし、政策の似通った人たちの集団はできるかもしれませんが、そういう集団も選挙の結果に従うことが明確であれば、何も問題はありません。それどころか、選挙での活発な論戦を通じて、党には活力が生まれることでしょう。共産党員は党首公選をしても分派活動などしないのであって、党中央は党員を信頼してほしいと思います。

 党首公選を共産党が実施することは、事実上、選挙期間中は、民主集中制を停止することを意味します。それが共産党に肯定的な影響を与えるなら、選挙後も同じ制度を続ければいいし、否定的な影響が大きいと考えるなら、もとの制度に戻ればいいのだと考えます。100年も続いた制度を変えるには、実際の体験を通じて、変えることの可否を党員が判断することが不可欠です。

 

 私の以上のような訴えは党中央には届きませんでした。しかし現在、共産党のなかでは、もちろん党中央を支持する人が主流ではありますが、同時に、私の考え方に共感する人も生まれています。「自分も離党する」と私に伝えてきた人に対して、私は「党にとどまってほしい」「来年1月の党大会に参加してほしい」とお願いしています。

 来年1月の党大会で私の除名処分の再審査が行われ、処分を覆すことができるなら、共産党は大きな改革に踏みだすことができます。もちろん、その可能性は現在では微々たるものですが、そのわずかな可能性を切り開くため、全力をあげたいと思います。

 ご静聴、ありがとうございました。