党の規約では、「中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる」(第5条第6項)とされています。藤田さんは、私が党首公選を求めるならば、そういう意見をあげればいいではないか、それなのに一度もそういうことをしていないと、私を批判しています。

 

 規約のその条項は私も熟知しています。昨年、私がある団体の講演会に招かれた際、主催者がその告知記事を「赤旗」に載せるよう求めたのですが、その県の「赤旗」記者が、「松竹さんの名前は『赤旗』には載せないことが決まっている。だから告知記事は出せない」と述べたことがありました。それを聞いた私は、「赤旗」編集部にメールを送り、これまでの党員人生50年近いなかで、一度も党から処分されたことも、そのための調査を受けたことも、注意されたこともないのに、なぜそんな措置が決まっているのかと回答を求めたことがありました。その結果、ちゃんと回答があり、そういう措置は間違いなので、近く記事を出しますということでした(実際に掲載されました)。

 

 つまり、この規約の条項は、ちゃんと機能していました。藤田さんが強調するのは理解できますし、私だって、党員としてこの条項の大事さを知っているから、権利を行使したのです(ちなみに、この条項は権利規定であって義務規定ではないので、権利を行使しないことも許容されています)。

 

 一方、この条項がどの程度機能しているかについては、かなりの疑問があります。「中央委員会に意見を出しても回答がない」とか、「『ご意見ありがとうございます。担当部署に伝えました』というのが回答で、それから進展がない」という声も、ネット上では出回っています。これでは規約で規定された「回答」の資格がなく、党員の権利は踏みにじられていることになります。

 

 また、回答があった場合でも、上記の私の場合のようにそれで解決する場合もあれば、意見を出した人が納得しない場合もあるでしょう。納得しなくても中央の見解を伝えるだけでいいのだということかもしれませんが、本来ならば、意見の交換程度のことはするべきだと思います(意見を留保することでは納得するまで)。

 

 藤田さんに求めたいのは、それほどこの条項が大事だというなら、どの程度機能しているか、統計的なものを明らかにしてほしいということです。昨年1年間分だけでいいので、どれだけの数の意見が寄せられたのか、そのうち回答しなかった件数(1)、担当部署に回したというだけの回答だった件数(2)、回答したが納得してもらえなかった件数(3)、回答して解決した件数(4)などです。

 

 前3者のような件数はほとんど存在しないというなら、このやり方だけで党を運営するのがベストだと言い張ることもできるでしょう。ぜひ、お願いします。

 

 なお、党首公選について言うと、ある人が一年ほど前、その実施を求めて意見書をあげたそうですが、党内には政策的争点がないので選挙するのは無意味です、というのが回答があったそうです。だから、私が意見書をあげたとしても、そのような回答になるだけだということは、早くから分かっていました。いや、その後、昨年の8月23日付で党建設委員会の論文が出ましたので、現在ではそれが添付ファイルで送られてくるのかもしれません。

 

 いずれにせよ、党首公選の問題は、まだ大会で議論もされておらず、党の決定にもなっていないのに、内部で意見をあげてもそういう対応しかされないのが現実なのです。藤田さんは、私が内部で意見を一度もだしていないのに外部に公表したと批判しますが、たとえ意見を出した上で外部に出したところで、そ「誠意をもって回答したのに外部に公表した」と変わるだけのことです。

 

 しかし、それでは循環型の党運営とは言えない。だから、小池さんのパワハラ事件で地方議員が起ち上がったように、私も公然と意見を述べなければならないと思いました。そして、来年1月の党大会で、公選するのかしないのかの議論を行い、決着をつける以外にない。そのためには、いまから全党的に議論を闘わせていくべきなのです。

 

 私が『シン・日本共産党宣言』を刊行したのは、そういう気持も存在しています。これまで党員が意見書を出しても党内では議論されなかったのに、今回、本の刊行をきっかけに藤田さんが「赤旗」に論文を書いてくれたこと自体、このやり方が全党的な議論を興す方法だったことを証明していると思います。

 

 しかも、党首公選という問題は、そもそも党の内部問題とはいいきれない要素があります。さらに、8月23日付論文は、党規約が言うような「決定」でもありません。そこが次の論点です。(続)