昨夜、突如のAbema Prime出演で上京し、本日、朝6時の新幹線で戻るしかなかったおかげです。5時46分に黙祷することができました。

 

 あの時、神戸市の東灘区に住んでいた両親は、父が20年近く前に亡くなり、その後、神戸を出て近くで暮らすようになった母も一昨年亡くなりました。次第に遠い記憶になりつつあります。

 

 でも、この日になると、やはりまざまざと記憶は読み上がりますよね。私にとっては、テレビで惨状がどんどん明らかになってくるのに、両親との電話がつながらない焦り、不安みたいな記憶ですけれど。

 

 それはここでくり返しても仕方ないでしょう。今年は新しい話題が生まれました。

 

 私の子どもたちは、小さい頃、正月や夏休みの神戸の実家で遊びました。住吉台って、JR住吉の駅から30分ほど山のほうに歩いて行ったところです。

 

 その子どものうち、息子がつい数日前まで神戸(淡路も)に来ていて、懐かしい住吉台まで行ったのですよ。記憶はかなり薄れていたようだけど、電話をしてきて、「ここがこう変わっているよ」と報告してくれました。

 

 なぜやってきたかというと、取材なんです。公共放送の記者になって、しばらく地方のどさ回りをしていましたが、2年ほど前から東京の本局に。こういう時期になると、記者をかき集めて、集中的な取材体制をつくるのですね。これまでも、熊本の地震とか、いろいろある度に、地方にいても駆り出されていましたから。

 

 だから、「今度もご苦労様だね」と私は言ったのですが、それだけでなない様子。今年、今後に配属される部署を希望することができるそうなんですが、「どこにするの?」と聞いたら、「社会部の災害班」なのですって。

 

 高校生の頃、伊勢﨑賢治さんにあこがれて大学を選び、先生に師事し、英語圏と中国語圏に留学もしたから、てっきりそういう分野を選ぶのかと思ったら、地方周りをしているうちに、いつの間にか社会部志望に。「困っている人に寄りそう仕事だと思えるから」と。

 

 それが「災害班」ということになったのですね。私としては、「そんな忙しい部署を」と言いつつも、ついホロッときました。

 

 はい、本日は親ばかで済みません。明日から再び戦闘モードということで。