共産党は来年1月5日、第7回中央委員会総会を開くという。毎年恒例の、いわゆる「旗開き」をしないで(新年のおとそ気分は排するということだろう)、共産党にとって大会から大会までの「指導機関」であり、党の方針を政策を「正しく発展させる」(規約第21条)ことに責任を負う中央委員会の総会を開くというのだから、かなりの覚悟なのだと思う。

 

 さて、では、中央委員の諸氏は、党の方針を政策のどこを「正しく発展させる」決意で会議に臨むのだろうか。そこが問題である。

 

 率直に言って、共産党が現在の政策、方針のままで、70年代前半までに経験したような前進期を迎えると楽観している中央委員は、おそらく一人もいないのではないだろうか。この半世紀近く、国会の議席という点から見ると、高揚した時期も減退した時期もあり、それはときどきの情勢に見合った提起をすることでなしとげることが可能だったのだが(2015年の野党連合政権の打ち出しはその一つであった)、党員数や「赤旗」読者数は着実に減り続けている。

 

 なぜそうなるのか。最高の「指導機関」のメンバーである中央委員なら、日夜悩み、考えぬいていることと思う。

 

 そして、中央委員会総会というのは、中央委員にとって、自分の全精力を傾けて勝負する場だ。「これなら、この半世紀の後退を跳ね返して前進に転じることができる」という方針、政策を自分の責任と覚悟でつくりあげる場なのだ。是非、がんばってほしいと思う。

 

 そういう観点から見て、最近の中央委員会総会の持ち方には、少し違和感がある。志位委員長の報告部分を公開して、支部の党員の視聴を促すやり方のことだ。

 

 中央委員会総会というのは、100周年の記念講演とは性格が異なる。あくまで、政策と方針を「正しく発展させる」場である。そのためには、志位委員長の提起が間違っていると思ったら、「それはおかしい」として侃々諤々の議論をする場なのである。その結果、当初の提起が間違っているという結論が多数になったら正されるし、「いや、これでおおよそはいい」となったら、部分的な修正で済むというようなことがあってもいい。

 

 最近の志位報告を公開するやり方は、「報告を聞けば党員は元気になる」という思いがそうせさせているのだろうが、報告が一字一句修正されることはないという思い込みが前提となっている。そういう前提自体が、指導機関である中央委員会の諸氏に対して失礼ではないか。

 

 半年ほど前に書いたが、湾岸戦争で多国籍軍の戦争に反対しないという態度を決めたとき、常任幹部会では議論がまとまらず、3回も会議を開いたという。いまの共産党も、それぐらいの覚悟で、統一地方選挙、そして24年1月の党大会に向かう方針を決める必要があると感じる。

 

 そこに向かう私の覚悟は、『シン・日本共産党宣言』に書いている。では、来年もよろしくお願いします。