篠原氏によると、「異なる意見の具申や表明につながる」ようなことがあると、第二事務の監視対象になるということだ。もしそれが事実なら、意見の違いが重大で深刻であればあるほど、監視対象されることが確実となるはずだ。

 

 しかし、そういうことをしても、監視対象にならなかった人なら間違いなくいる。それが私である。

 

 率直に言って、私と志位氏の意見の違いは、篠原氏が言及しているレベルとはかなりかけ離れた深刻なものであった。だって、不破哲三氏と上田耕一郎氏が83年8月号の党の月刊誌「前衛」で、その26年前に刊行した本の内容とその出版自体をめぐって自己批判文書を公表したが、私の2005年4月号の党の月刊誌「議会と自治体」での自己批判は、それ以来の出来事だったからだ。それ以降も党の刊行物に自己批判文書を公開した人がいるとは聞かない。

 しかも、不破氏と上田氏は、その自己批判をもって、本人の内心がどうだったかは知らないが、少なくとも建前では宮本顕治氏の言い分を全

面的に認めたわけだが、私はそうではなかった。侵略されたら自衛隊で防衛するという私の立場が間違っているから自己批判せよというのが志位氏の指摘だったが、私はそこは自己批判できないとして屈しなかった。そうしたら、そこは保留したままでいいということで、論文のなかで自衛隊が違憲だと明記していないことだけは自己批判せよと求められ、そこだけはOKしたのである(それから15年経って、志位氏が、政権に入ったら自衛隊は合憲だと言い出すとは想像もできなかった)。

 

 そういう経過があったから、私が志位氏の間での意見の違いが残されたままであることは、それを議論した常任幹部会員なら誰もが知ることであった。もし、意見の違う党員を尾行監視するのが第二事務の仕事なのだったら、担当の常任幹部会員の指示で私には3人の尾行が付いたはずである。しかし、そんなことはされなかった。

 

 いや、相手に気づかれたら尾行監視は失敗なので、私が気づかなかっただけと言われる可能性はある。まあ、それにしては篠原氏が紹介している尾行監視の事例は失敗だらけで、そんな程度では恥ずかしくて「尾行監視部門」は名乗れない。「自分も監視された」ことを誇りに思っている人もいるようだが、それは自分は尾行されるほどの大物だと思っている人の願望が、いつの間にか尾行幻想になっているだけでしかなかろう。

 

 私は、前回書いたように、学生の頃から6人の尾行が付いているから注意しろと言われてきたので、尾行にはかなり神経質な過去を過ごした。だから、もし志位氏との意見の違いが表面化して以降、尾行されていたならほぼ間違いなく気づいたはずだ。

 

 それだけではない。私が尾行されていなかったという確かな証拠もある。(続)