第二事務に関する連載が続いているが、それでも連載を休んで書かねばならないことも出てくる。ウクライナによるものと思われるロシア領内の軍事基地攻撃が報じられているが、これは日本で議論がすすむ「敵基地攻撃』論とも密接にからむので、どうしても緊急に論じておきたいテーマである。

 

 「敵基地攻撃」は日本の安全保障政策の大転換である。というか、2015年の新安保法制と集団的自衛権の解釈変更により開始された転換が、より本格的、現実的なものとなることを意味している。

 

 私はこれに反対だ。しかし、反対論が世論の多数を占めるようになるためには、反対論を鍛えておかねばならない。そういう趣旨の記事である。

 

 左翼の一部には、「敵基地攻撃」論について、「先制攻撃」だとか「侵略だ」という議論がある。その可能性が生まれることは否定しないが、敵の基地を攻撃したら、それだけで先制攻撃とか侵略だとかになるかというと、そうではない。

 

 それを示すのが、今回のウクライナによるロシア領内の基地攻撃である。これを見て、ロシアがより凶暴化するのではとか、ロシアの侵略がより大規模になったりするかを危惧する声はあがっても、「ウクライナが侵略者に転じた」と思う人はいないと思う。

 

 これまでウクライナはロシアの侵略に対して、自国の領土、領海、領空の防衛を中心に戦ってきた。しかしそれでは、領域に侵入してくるロシア軍を撃破することはできても、ロシア領内から連日放たれるミサイルによる攻撃を防ぐことはできない。ミサイル防衛網だけですべてを撃ち落とすことはできないからだ。

 

 そういう場合、ミサイルが発射されるロシア領内の基地を攻撃しても、侵略には当たらず、防衛の範囲と捉えることができるのではないか。今回のウクライナによる攻撃は、そういう問題を提起しているのである。攻撃されたロシアの基地は、戦略核兵器の基地でもあって、ウクライナにとっては自国の生存を脅かす存在でもある。

 

 そして、日本における「敵基地攻撃」論も、論者によって粗雑なものもあるけれど、国民に対する説明の基本は、今回のウクライナによる敵基地攻撃と同じことを日本でも可能にしようというものなのだ。

 

 いま政府がウクライナの事態を事例に説明しているわけではない。しかし、これまで政府が、敵基地攻撃は専守防衛の範囲内で憲法でも許容されるけれども、政策としては採用しない(それをやるのはアメリカだし、日本は自重することが外交上も得策だとして)としてきたのは、同じ理屈であった。だからきっと、今後は今回のウクライナの行為をもって正当化してくるだろう。

 

 だから、左翼が「敵基地攻撃」論を政策上の転換と捉えて批判するのは当然なのだが、批判のやり方はもっと慎重でなければならない。ウクライナがやったように、自衛のための敵ミサイル基地攻撃はあり得るという観点で、自分たちの論理を鍛えなければならないと思う。

 

 この問題はこれからも詳しく書くことがあるだろう。現実の戦争は、いろいろなことを考えさせてくれる。