最後である。やはり党首公選が大事だ。

 

 党首公選がなぜ大事かについては、いろんな論点があり、まとまったものは来年初頭にでも出すつもりである。しかし同時に、このパワハラ問題を考えても、党首公選は急務であると思う。

 

 今回の問題も、議員の名前の読み間違えという程度(程度といっては間違われた議員に申し訳ないが)の問題でも、下が上に逆らえないという現実を可視化したわけである。共産党には上下関係がないのだと説明され、2000年の規約改正でも不破氏がそのようなことを言ったが、厳然とした上下関係が存在する。でも、政党としてつねに意思決定をしなければならないのだから、上下関係自体の存在を否定することはできない。

 

 問題なのは、その上下関係が固定化されていることである。宮本氏が長くトップを務め、その後も、宮本氏が後継指名した不破氏、志位氏と、60年以上にわたってその現実が続いている。

 

 これって、たとえ60年間、何の誤りも犯さなかったというか、正しい方針を出し続けていたとしても、国民の目には異常な体制として映る。党員にとっても、上はいつまでも上という「変えられない現実」としてのしかかってきて、パワハラをパワハラとして認識できないような状況を生み出してしまう。田村氏が今回の問題を当初、パワハラだとは思わなかったとのべたのは、変えられない現実があまりにも深く、重く定着していることを意味する。

 

 もちろん、党首公選をしたところで、現在の指導部なりその推薦候補が圧勝するであろうことは、誰でもわかる。相手は名前さえ知られていない人なのだし。しかし、党首という地位も循環する可能性があるのだ、固定化されているわけではないのだということを、システムとして確立していれば、指導部のなかにも適度な緊張感を生み出すことになるだろう。

 

 それも含めて、要は、循環型の党運営をどう実現するかである。2000年の規約改正は新鮮な反響を呼んだと思うが、上下関係が本当に存在しない党のためには何が必要かなど、それを日常の党運営にどう具体化するのかについては、その後、あまり活発に行われていない。そのため、2000年以前の党運営のやり方が、なんとなくだらだらと続いているという側面があると思う。下が上に無条件に従うシステムって、パワハラとどこが違うのか、同じなのか、真剣に考えなければならない。

 

 循環型の党が実現すれば、国民の共産党を見る目にも大きな変化が生まれるのではないか。今回のパワハラ問題は、そういう党のための絶好の機会をつくってくれたと思う。

 

 次の連載テーマは「第二事務」である。(了)