そう言えば最近、パワハラで除籍された人がいたけれど、それって小池氏のような処分ではないから軽い措置って言えるのかなあ。

 

 前回の手段は、上からのパワハラがあっても、下からそれに倍する力で抵抗し、上下関係を変えるやり方だ。このことによって、2000年規約改正で不破氏が述べた「循環型」の党運営のようなものを、役職の点でも実現したわけである。役職が循環すれば、もし間違った政策、方針を打ち出しても、それが改められる機会が増えることになる。それが50年問題の教訓である。

 

 ただ、宮本氏がそれをやれたのは、それだけの抜群の能力、政治力があり、獄中12年の実績をはじめ、非常に特殊な人物だったという要素が大きいと思う。さらにくわえて、文芸評論家としての実績もあり、排除されても食っていけるだけのものがあった。だから、排除を恐れる必要がなかった。

 

 時代も異なるので同じことはできないが、そういう精神はいまでも必要だろう。小池氏の動画だって、最初に告発した議員は、該当部分を切り出した動画を内部にとどめつつ党中央に告発したらしい。こんなSNS時代だから、そういうやり方をしても、いつの間にか拡散されてしまったらしいのだけれど。今回、動画が外に広がったことをもって党中央が問題にすることができないことも、時代の変化を感じる。

 

 共産党の規約は、「中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる」(第5条の6)とされていて、これまではそれらの意見は厳格に内部にとどめて外に出さないものだと思われてきた。しかし、いまやそういう解釈は通用しなくなっているということである。政党というのは、国民から共感されないと存続できないのだから、当然のことだと思う。今回のような意見表明は処分の対象にしないことを、公式に明らかにしたらどうだろうか。

 

 それにしても、50年問題を振り返ってもう一つ感じるのは、あれほど宮本氏を排除しながら、主流派も分派として除名するには至らなかったことである。徳田球一にもそれだけの度量があったと言ったら叱られるかもしれないが、民主集中制だから分派を除名するというのは、宮本時代の産物なのかもしれない。

 

 一方、最近かなり濫用されていると思われるのは、除名ではなく除籍である。除名は処分なので、実際に決めるにあたっては、「処分をうける党員に十分意見表明の機会をあたえる」など複雑な手続も必要だ。しかし除籍は処分ではないとされ、簡単に実施することが可能であるため、濫用されやすい。しかし、党外に放逐するという点では除名と同じ効果をもたらすのであって、慎重な運用が必要とされるはずのものである。私は党首公選に打って出ると表明していて、その場合、どうしても協力してくれる人が必要なのだが、それを党員に頼むと分派をつくることになるけれども、そうしないで済むのは除籍者が多いからだから、個人的には助かっているというのは笑い話である。

 

 除籍とは、「第4条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる」(第11条)とするものである。ここで基本的な要件である第4条を読むと、「18歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる。党員は、党の組織にくわわって活動し、規定の党費を納める」となっているのだから、綱領と規約を認め党費を納めている人を除籍するのは無理なのだ。それなのに「反社会的行為」とか「党への信頼をそこなった」ことなどが上級で恣意的に解釈されたら、誰でも除籍できることになってしまう。そう言えば最近、パワハラで除籍された人がいるけれど、それって小池氏のように処分ではないから軽い措置だって言えるのかなあ。

 

 党内で意見が異なるとか、上に対してきびしい意見を述べるとか、そういうものは除籍の対象にならないことを明確化すべきだと感じる。まあ、所属している党機関によってかなり運用が異なるので、全国一律の話ではないかもしれないが。(続)