昨日、京都で、「台湾有事と戦後平和運動の岐路」と題して講演してきた。この講演って、戦争をしようとしているのはアメリカで(かつそれに追随する日本で)、中国や北朝鮮は米日の戦争路線の犠牲者だという戦後平和運動に染みこんだ考え方を転換することを目的にしている。

 

 そういう平和運動に何十年もかかわってきた方々が参加する講演会だから、大きな反発があるものと思っていた。ところが、そんなことはなかった。

 

 それどころか、ほとんどの方は、台湾有事を引き起こすのはアメリカではなく中国であると理解していた。そして、そういう事態になったとき、軍事介入する米軍を助けたら日本はたいへんなことになるので、そんなことはしたくないけれど、何十万、何百万単位で傷つく台湾の人々を助ける側に立たなくてもいいのだろうかと、そこに迷っている人が大半だったように思う。

 

 人が生活している現場で、いろいろな矛盾と葛藤を抱えながら判断している人は、ほんとうによく考えているのだなあと、感激した次第である。現場のことをしらず、原理でものごとを判断していると、大きな間違いを犯すことになる。

 

 それにしても、平和を乱すのはアメリカで(と日本で)、中国や北朝鮮は平和勢力だというのは、共産党の61年綱領の考え方である。それが半世紀も続いてきたのである。

 

 そもそも、朝鮮戦争とはアメリカと韓国が北朝鮮を侵略した戦争だというのが、戦後の共産党の考え方だった。それって、学問の世界でも政治の世界でも、全然通用するものではなかったし、共産党も通用しないことは自覚していて、現実には考え方を転換していたのだけれど、公式に朝鮮戦争は北朝鮮の侵略だったと転換を表明したのは、1988年。戦争開始から40年以上も経っていた。

 

 その間に、戦後の平和運動は、アメリカこそが戦争勢力で、他の国々は平和勢力だという61年綱領を信じ切って、その線で人々に働きかけてきた。それがいま、平和運動の混迷を生みだしていると感じる。

 

 例えば、いまアメリカは、日本やグアムを標的にする中国の中距離核ミサイルに対抗するため、同じ中距離核ミサイルの開発を進めている。製造されれば日本に配備することを求めてくるだろう。

 

 日本に配備されたミサイルが中国に向かって放たれれば、当然、中国のミサイルが日本に発射される。日本の国土は破壊されるに違いない。

 

 だからといって、日本の平和運動は、アメリカの中距離核ミサイル配備に反対するだけでいいのか。中国の同じミサイルの廃棄は求めないでいいのか。

 

 かつてヨーロッパで中距離核ミサイルが全廃されたのは、世論が結束したからである。その世論は、アメリカとソ連の両方のミサイル撤廃を求めたから、多数派になっていった。

 

 日本の運動が、アメリカのミサイル配備に反対するだけでなく、中国に対してもミサイルを撤去せよと求めることができるのか。それができなければ、日本の平和運動は中国寄りの運動ということになって、日本国民の世論からかけ離れたものになっていくに違いない。