現行規約では幹部会の役割はとくに規定されておらず、常任幹部会も「幹部会の職務を日常的に遂行する」とされているだけである。「指導機関」である中央委員会こそが権威を持っているはずであるが、幹部会は中央委員会の前日に半日だけ開かれ、常任幹部会が提案する中央委員会への提案を了承する役割を果たす程度のものになっているので、常任幹部会こそが実質的な権威を有していると言える。もちろん、会議の日数が限られているとはいえ、常任幹部会の提案に中央委員や幹部会メンバーが反対、保留することは可能であるし、党員たるもの異なる意見があるなら信念を貫くのが正しい道である。ただし、中央委員(幹部会も含む)の給与は全額が党中央から支給されており、反対、保留を表明しようとすれば、その事実が脳裏をよぎることになるだろう。その結果もあるのか、この半世紀以上、中央委員会は「全会一致」を繰り返してきたが、直近(二〇二〇年八月)の第六回中央委員会総会では、中央委員一人が保留を表明することになった。

 

 こうして七〇年から、共産党のトップは幹部会委員長で、ナンバー2が書記局長ということになるが、八二年(第一六回大会)に野坂氏が退任し、宮本氏が議長、不破氏が委員長になることで、トップは議長だという時代が到来する。野坂氏はヒラの中央委員だったのに対して、宮本氏は権限のある常任幹部会のメンバーだったので、規約上も不自然ではなかった。ナンバー3と位置づけられた書記局長には金子満広氏が就任し、九〇年の第一九回大会以降は志位和夫氏に変わる。これも宮本氏の抜擢であった。なお、不破氏が病気で職務が遂行できなくなった一時期、村上弘氏が委員長となり、不破氏は「副議長」となったこともある。

 

 九七年(第二一回大会)、宮本氏が議長から退任し、議長席が空白となったが、二〇〇〇年(第二二回大会)、委員長に志位氏が就任し、不破氏は議長となる(書記局長は市田忠義氏)。この大会では規約が改正され、議長職は「選出することができる」として、必須の役職ではなくなった。そのことで、委員長が党首であることが規約上は明白になったが、不破氏は野坂氏と異なって常任幹部会のメンバーともなったので、規約は別にして実質的な権威を有することとなる。不破氏は二〇〇六年(第二四回大会)で議長職を辞し、委員長が党首であることがより鮮明になったが、常任幹部会のメンバーではあり続けている。なお、二〇一六年以来、書記局長は小池晃氏が務めている。

 

 この歴史を振り返って感じるのは、まず規約があって、それにあわせて人事が行われただけではないということである。党首が「こいつは見込みがある」という人を見つけたり、実力のある人が頭角を現したりしたとき、まず規約に沿って人事を考え、必要であれば規約を改正してでも新たな役職をつくったりしてきたということである。不破氏も志位氏も宮本氏が抜擢したのを中央委員会、大会代議員が承認してきたものであり、一九五七年からの六五年間、宮本氏の意向で人事が左右されてきたとも言える。次に党首が新しくなるとすれば、初めて宮本氏の影響とは直接の関係がなくなる。引き続き党首の意向で次の党首が決まるのか、党員の意見が影響を与えるのかが注目される。(了)