いま共産党に関係する本を執筆中なのですが、版元の担当編集者が言うには、共産党の役職や機構があまりに特殊かつ複雑で、ふつうの読者にはとっつきにくく、本の冒頭近くに解説を入れてくれませんかということです。あまり長いものだと、それだけで後ろを読む意欲が失われると思うので、こんなものを書いてみました。何か間違いがあるとか、こう書いたらもっと分かりやすいとか、ご意見があったらお寄せください。なお、某所でのKM生さんの解説を参考にさせてもらっています。ありがとうございました。

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 本書の読者には、日本共産党に関心を持っていても、共産党の独特の機構などを知らない人も多いと思われる。党首は正確には「幹部会委員長」(略して委員長)と呼ぶことをすでに紹介したが、「幹部会」や「常任幹部会」とはどんなものなのか、委員長以外に「議長」や「書記局長」などの役職もあるが、委員長との関係はどうなっているのかなど、読み進める上でつかえてしまいそうな言葉が使われている場合も少なくない。そこで、最小限度のことは最初に解説しておきたい。よく知っている方は読む必要はない。

 

 共産党にとって最高機関は全国大会であり、現在は二年から三年に一回開かれる。そこで選ばれる中央委員会(現在は二〇〇名近い中央委員で構成され、開かれる会議の名称は回数に従って第○回中央委員会総会と呼ばれる)が次の党大会までの指導機関とされる。この仕組みは戦後ほとんど変更がない。

 

 戦後すぐの一九四五年(第四回大会)からは「書記長」が党首であり、当初は徳田球一氏が、五八年(第七回大会)以降は宮本顕治氏が務めていた。また、この第七回大会で野坂参三氏が「中央委員会議長」となり、八二年(第一六回大会)まで続けて引退するが、一貫して名誉職的な位置づけであった。戦後すぐは中央委員の数も十数名しかおらず、別の指導機構は存在していない。

 

 書記長(General Secretary)とは国連の事務総長(Secretary-General)と同じ意味であり、国連で権限を持つのが安全保障理事会で事務総長はあくまで事務の責任者であるのと同様、社会主義革命を成し遂げたソ連共産党においても、当初は権限を有する政治局(のちの幹部会)のもとで事務を仕切る役割を与えられていた。しかし、書記長だったスターリンが日常の事務を担うことを通じて権限を増大させ、政治局を有名無実化させていったことから、世界の他の共産党でも書記長が代表職とみなされる時代があったわけである。

 

 日本共産党が平和革命路線を明確にした六一年(第八回大会)、都道府県委員長なども中央委員とすることとなり、東京の党本部で日常の指導にあたるものの役職として幹部会が設けられる。党首としての幹部会委員長という、現在につながる役職ができたのは一九七〇年(第一一回大会)のことで、宮本氏が初代として就任した(野坂氏は引き続き中央委員会議長)。

 

 この大会ではさらに、宮本氏に抜擢されて不破哲三氏が新設の書記局長(Chief of Secretariat)となり、他党の幹事長クラスとみなされるようになる。書記局とは国連の事務局(Secretariat)と同じ名称である。現行規約では「幹部会および常任幹部会の指導のもとに、中央の日常活動の処理にあたる」とされる。

 

 またこの大会から、主要な都道府県の委員長も幹部会のメンバーとして処遇されるようになり、東京で日常の指導にあたる幹部の集団は常任幹部会と呼称された。この大会で、現在につながる機構がすべてつくられることになる。(続)