出張中の夜は、誰かと飲んでいない限り、ホテルでボヤッとしている。昨夜も、部屋で一人さびしく食事しながらテレビをつけたら、NHKで「うたコン」をやっていたので、そのまま流していた。

 

 そうしたら、三浦大知が出てきて、ちむどんどんの主題歌「燦燦」を歌っていて、はじめて歌詞の全文を見ながら聴くことになった。それで納得することがあったので、少しだけ。

 

 歌詞の中に、「降り注ぐ順光線」という言葉が出て来る。「順光線」って、カメラを趣味にしている人にはふつうの言葉なのかもしれないが、私には聞き慣れなかった。調べたら、「逆光線」の反対語で、「写真撮影や描画の対象の正面から照らす光線」ということだった。

 

 ちむどんどんの評判はあまり良くなくて、ネットでは批判の書き込みが渦巻いているという。わざわざ朝から気分を悪くしたくないので、その種の書き込みは見ないけれども、漏れ伝わってくる限りの批判から考えると、このドラマが逆光のない順光だけで構成されていることが影響しているのではないかと感じた次第である。

 

 たとえば「にーにー」。何回も詐欺まがいのことに手を出し、貧しいはずの母親からその度に借金をする。しかし返せない。常識からすると、そんなことを繰り返す「にーにー」には共感できないし、それでもカネを工面して渡す母親を見れば、カネを渡すのではなくて、そんな行為に手を染めるなと注意するのが親の役目だと言いたくなる。だから、ネットの批判はまっとうなものだとは思う。

 

 だけど、このドラマが描いているのは、それでも「降り注ぐ順光線」である。親だからこそ、子どもがきっと失敗するのだと分かっているのだろうけれど、その子どもの行為が家族を思う心から来ていることを信じて、逆光などまったく気にせず、騙されてもいいと思いながら騙される親の愛というか(ま、言い過ぎかも知れないけれど)。

 

 いまどき、そんな家族はいない。そんなことでは、この逆光だらけの、不寛容が充満している日本では生きていけない。だから、余計に気に障るところが出てくるのだろう。

 

 でも、そういう家族もあっていいなというところを、家族・親族のつながりが本土とはかなり異なる沖縄を舞台に描いているのではなかろうか。選挙応援で沖縄に行ったこともあるが、党派と関係なく親族ぐるみで選挙を闘う姿を見て、仰天したのを思い出す。まあそれも、いまは変わっているかもしれないけれど。

 

 私も、子どもが小さいときは、溺愛タイプでした。息子を叱ったのは一度だけ。最近結婚した息子は、その叱られた記憶を、いつも楽しそうに話しています。なーんて、最後は親ばかでした。