朝鮮戦争は北朝鮮が侵略して開始されたのではなく、韓国がアメリカとともに引き起こしたものだ。これが1950年に戦争が開始された時点での共産党と平和運動の立場だった。それが69年の時点でも変化がなかったわけだ。

 

 では、いつ共産党の見解が変わったのか。公式には、88年9月8日に公表された「朝鮮問題についての日本共産党中央委員会常任幹部会の見解」であるとされる。そこに、「(北朝鮮が)南部全面解放による朝鮮統一の立場から軍事行動をおしすすめた」ことが指摘されているからだ。

 

 現時点で考えてみると、ずいぶん時間がかかったと感じる。本当に評価が難しい問題で、態度を変更するのに新しい資料の発見や発掘が必要なものだったら、時間がかかるのも理解できるが、そうではないからだ。前回書いたように、68年の北朝鮮による青瓦台襲撃未遂事件があり、その年のうちに共産党は北朝鮮に代表団を送って、それを批判し、警告していた。

 

 共産党がそういう行動をとり、北朝鮮との関係を冷却させていたことは、党員にも知らされていなかったが、さすがに専門家は探り当てていた。二つの証言を紹介しよう。

 

 一つは、日朝・日韓関係史の専門家の高崎宗司さん(津田塾大学元教授)である。『検証 日朝交渉』という本を書かれているが(平凡社新書)、そこに次のような記述がある。

 

 「68年1月、北朝鮮が武装ゲリラをソウルに派遣し大統領官邸を襲撃しようとしたことを契機にして、それまで朝鮮労働党(労働党)と交流してきた日本共産党は、労働党と対立関係に入った。平和革命路線をとる共産党は北朝鮮の冒険主義的武装闘争路線を強く批判した。すると、労働党は共産党にかわる日本の北朝鮮支持者を日本社会党に見出した。70年8月には成田知巳委員長を長とする訪朝団を招請し友好関係を樹立した。しかし、社会党はそうした北朝鮮の思惑を十分理解しなかった。そして、次第に北朝鮮の主張を無原則的に受け売りするようになっていった」

 

 もう一つは、明治学院大学教授の川上和久さん。『北朝鮮報道 情報操作を見抜く』(光文社新書)という本で、「離れる共産党、近づく社会党」という小見出しをつけ、次のように指摘している。

 

 「1968年1月に北朝鮮は、工作員をソウルに潜入させて朴大統領の暗殺を図る 『青瓦台事件』を起こし、ソ連や中国と距離を置く自主路線を歩み始め、金日成独裁体制を強化し始めた」、「こうした北朝鮮を、独裁国家と認識し始めた日本共産党は、次第に北朝鮮とは距離を置くようになる。1973年には、共産党の機関紙『赤旗』の平壌特派員を引き揚げ、1983年のラングーン事件で、完全な断交状態に至る」、「1970年代前後から関係が冷め始めた日本共産党に代わり、まさに北朝鮮との蜜月関係を築いていったのが、日本社会党だった」

 

 それなのに、朝鮮戦争の見方に関しては、88年まで、勃発時の見解の修正に至らなかったわけだ。なぜなのだろうか。(続)