さて、マルクスは1840年代前半、1昨日書いたように、「君主の主権かそれとも国民の主権か、これが問題なのである」、「(国民の)立法権へのできるだけ一般的な参与」などと述べていた。絶対君主制や立憲君主制ではなく、国民が主権の民主共和制を構想していたのである。

 

 それから年が過ぎ、1848年2月には『共産党宣言』が出される。急速に共産主義者となっていったのだ。

 

 では、共産主義者となって、何が変わったのか。マルクスの前で進んでいたのは、国民が政治的な権利(参政権)などを獲得しても、資本主義が急速に発達するなかで、労働者は血反吐を吐くほどの労働を強いられ、肉体と生命を蝕まれていく現実であった。政治的権利を獲得しても人間としての権利を獲得したことにならない現実であった。マルクスは、政治的権利で満足することを、「政治的解放の人間的解放にたいする関係を研究せず、そのためただ政治的解放と一般的な人間的解放との無批判的な混同」(全集第1巻388ページ)だと書いている。

 

 人間的解放のためは、民主共和制をつくるだけではいけない。そこで、『共産党宣言』に書かれたようなテーゼを打ち出してくるわけである。それが、生産手段の社会化(土地、銀行、工場などの国有化)、強力な累進課税、相続権の廃止、亡命貴族の財産没収、児童労働の廃絶、無償の義務教育等々であった。

 

 社会主義は「人間的解放」だと言われても、ピンと来ないかもしれない。生産手段の社会化とか亡命貴族の財産没収なども、あまり魅力を感じられないだろう。しかし、社会主義ともっと現代的に特徴づけた言葉も、マルクスやエンゲルスは使っている。たとえばエンゲルスは、イギリスのチャーチスト運動にふれたなかで、フランス大革命のなかで誕生した1793年憲法に言及しつつ、次のように書いている。

 

 「政治的平等とならんで社会的平等が要求され、すべての国民の民主主義者にたいする祝詞が熱狂的に採択された』(全集第2巻641ページ)

 

 資本主義では「政治的平等」までなので、社会主義では「社会的平等」を実現するという文脈である。「政治的解放」と「人間的解放」よりは、よほど現在にも通じるものになっていると感じる。

 

 実際、1793年憲法は、前文の人権宣言の部分で、政府が保障すべき人民の権利の内容は「平等、自由、安全、所有」として「平等」を最初に掲げ、本文では不幸な市民に労働または生活手段を提供する義務(第21条)、全市民に教育を提供する義務(第22条)などを規定していたのである。

 

 この憲法の審議過程でロベスピエールが提出した草案はもっとすごかった。「人の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の維持」をうたい、維持されるべき権利の第一番目に「生存の維持に備える権利」、すなわち生存権をあげていた。そして、所有権も生存権に誓約されるとしていた。

 

 かなり、現代の言葉に近づいてきたね。しかし、これにはとどまらない。(続)