このブログの読者なら、「全国革新懇」はご存じだろう。社会党が1980年の公明党との合意で日米安保容認へと舵を切ったあと、共産党を中心にその課題などでの協力共同を進めるため81年に結成された組織である。

 

 そこが毎月ニュースを出していて、とくにインタビューが面白いので、ときどき読んでいる。だいぶ前、原水禁国民会議の中心人物だった福山真劫さんが登場し、分裂について原水禁にも言い分があるが原水協にもあるでしょう、そこをおいてどう協力するかが大事だとお話しされるのを見て、このニュースに注目するようになった。

 

 今月号(7、8月合併号)も面白い。共産党をテーマにした映画「百年と希望」を取り上げた池田香代子さんの論評が載っていて、それがユニークなのだ。

 

 冒頭から立憲や自民の党首選挙の話題で始まり、すぐにこんな記述になる。

 

「もし共産党が党員外にも見えるところで委員長選挙をやったら、さぞかしゴージャスなイベントになることか。なにしろあれだけの論客が揃っているのだから、というところまで考えが及んだのは、立憲代表戦がやや物足りなかったせいもあるが、なにより昨今の共産党の政治家は個性が粒立ちしているからだ。」

 

 そうして、池田さんが体験したその「粒立ち」の具体例が紹介され、たとえ共産党で党首選挙がされたとしても、「金太郎飴よろしく党の正式の方針しか口にしなければ、何人立候補しようがおもしろくもなんともない」とする。さらに、「共産党の人はみんな同じことしか言わない、というのは、どれだけが事実でどれだけがただの先入見だったのだろう」と問いかけている。

 

 その答えの一つが、田村智子政策委員長の話である。例の防弾チョッキのことだ。

 

「ウクライナへの防弾チョッキなどの支援について、スポークパーソンの田村智子さんの発言が揺れるのを見たとき、共産党も内部では意見の違いがあるのだと確認した気がして、ちょっとうれしくなった」

 

 そう。党外の普通の人にとって、共産党のなかで意見の違いが見えるのは、「ちょっとうれしい」ことなのである。それを共産党が自覚できれば、まだまだ捨てたものではないのだけれどね。

 

 ところで、これではなぜ映画評なのか見えてこない。けれども、そこはさすが池田さんだ。映画の被写体そのものの描写が、党員の個性を映し出していることにつなげていく。

 

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