さて、コメント欄その他で出されている問題についても、いくつか考えておく必要がある。その前に、コメント欄の扱いについてブログの管理者に問い合わせたところ、コメントの扱いは、オモテに出すか出さないかも含め、管理者側が決めているとのことでして、わたしが全部出したいと言ってもそのような運営はできないということでした。悪しからず。
まず、党員投票で選ばれるのは党首だけになるのだが(わたしが書いているやり方だと)、その場合、規約上の「最高機関」である大会やそこで選ばれる中央委員会(ここが党首を選ぶ権限を持っている)との関係はどうなるかということだ。党首と中央委員会の意見が異なった際、どうするべきかという問題になる。
他党の場合、投票で選ばれるのは党首だけなので、おのずから党首の権限は大きい。現在、立憲民主党のなかにも選挙敗北の責任を問う声があるが、泉さんが聞き入れることがないのも、自分だけが投票で選ばれているということが大きいだろう。
しかし、共産党の党首の場合、党員投票で選ばれていなくても、その権限は他党より大きいのが実態だと言えるだろう。選挙敗北の責任問題でも、党内には満ちあふれていると思われるが、何らかの影響を与えているようには見えない。
一つの事例を思い出す。1997年の日銀法改正のことだ。
当時の日銀法は戦時中にできたもので、国家総動員体制を支える日銀の役割を規定したものだった。本来だったら、戦争終了とともに廃止されるべきものだったかもしれないが、戦後も改正されないまま生き残り、政府が日銀を統制する法的根拠として残ってきた。しかし、世界的に中央銀行というのは、短期的な利害に目がくらむ国会議員(とそれがつくる政府)の統制から相対的に離れて、長期的な利益で動くようにすべきということになり、独立性を担保するトレンドが強まる。その流れに沿った改正案だった。
共産党内でも、何と言っても政府の権限を弱めるのだから、日銀の独立性は当然という感じだった。国会対策委員会も政策委員会も賛成だったし、そのまま書記局長(志位氏)の決裁があり、みんな異論がないから委員長(不破氏)まで回す必要もないということで、最終的な態度が決まったのである。
だから、衆議院の大蔵委員会(当時)の採決に際し、共産党は賛成した。ところが、である。
同じ日の夕方、本会議が招集され、衆議院議員だった不破氏が本会議上ではじめて法案に目を通した。そして、この法案には反対すべきだと判断した。しかし、他党の議員もすでに勢揃いしている本会議であって、共産党議員の態度を変更させる手段はない。そこで、隣に座っていた志位氏にだけ声をかけ、そろって退席することになる。他の共産党議員はみんな賛成の投票をした。
異例の事態である。国会議員団からは、賛成は決定事項ではないか、党首なら民主集中制を踏みにじってもいいのかなどの意見が噴出するのである。(続)