7月16日付の社説。常識的なことを書いていて、内容面でとくに論じるようなことはない。

 

 問題は、こういう常識的なことが、少しでも前に動く可能性は、どうやったら拓けるのかということである。そこが見えてこない。

 

 SNSの普及の意味自体は大きい。へえ、党首交代論など、あの人もこの人もつぶやいているのだと分かる。それも選挙を経る度に増えており、今回の参議院選挙は、自衛隊活用論や合憲論などのインパクトもあって、これまでと比べられないほどの水準になっているように見える。

 

 それでも、それが現実を動かす力になるかというと、そう感じられないわけである。いや、いったん動き出せば、この種の議論の広がりそれ自体が、現実をさらに動かす力になるのだろうけれど、その最初のとっかかりが見えてこない。

 

 そして、それが見えてこないまま時間が経つと、いつもの「どうせ何を言っても変わらない」ということになって、そこに落ち着いてしまう可能性すらあるのだろう。そして、少し人事を動かすことで「変化」と「新しさ」を演出し、結局は同じやり方が踏襲されることになっていくのかもしれない。

 

 私がやろうとしていることは、そこに風穴を開けることになるのだろうか。「朝日」社説は、「民主集中制」が問題の根源にあることをしているけれど、でもその「民主集中制」を守りながら改革しなければならないところに、なかなか難しい問題がある。その探求の途上である。