昨日昼過ぎまで出張先の東京にいて、新幹線に乗る直前、安倍さんが撃たれたニュースが飛び込んできた。私が乗った新幹線は、あとで分かったことだが、昭恵さんが京都経由で奈良に向かったのとほぼ同じ時間のものだったようだ。車内の2時間余、昭恵さんがどんな気持で過ごしていたのだろうかと思うと、本当に犯人を許せなくなる。

 

 安倍さんには生きてほしかった。生き抜いてもらって、9条を争点とする改憲問題で最終決戦の相手として闘い、勝利したかった。

 

 だって、復帰後の安倍さんが主導した6回の国政選挙は、どれも自民党が連戦連勝で、一度も勝てなかったのだから。「勝った」と言える機会があるとすると、改憲問題しか残されていなかったのだ。

 

 安倍さんを嫌うあまり、左翼・護憲派のなかには、各種の漫罵をぶつける人がいた。ここで活字にするのも恥ずかしくなると言うか、いまこの局面では、その人たちでさえ口にできない言葉で罵倒していた。

 

 でも、それを聞く度に私が思っていたのは、「では、あなたはなぜ、その安倍さんに選挙での圧勝を許しているのだ」ということだった。国民の目から見て、左翼・護憲派よりも安倍さんがいいと思わせたものは、いったい何だったのかということだ。それを解明し、選挙なり改憲の国民投票なりで勝利することがない限り、政権などいつまでも夢のまた夢でしかない。

 

 アベノミクスには批判も多いけれど、経団連に社員の賃上げを求め続けた安倍さんの姿は、ただのポーズだったかもしれないけれど、かつての自民党の首相にはないものだった。慰安婦問題で、あの河野談話と2015年の日韓慰安婦合意を素直に比較すれば、安倍さん主導の合意のほうが河野談話より何倍もすぐれていた。河野談話は民間のカンパにつながったけれど、15年合意は全額が税金の基金だったことだけでも、両者は質的に異なるものだった。

 

 そうやって安倍さんは、右派からの失望が生まれても気にせず、左翼、中間層に大胆に切り込んできて、支持を広げたのだ。ところが左翼・護憲派は、安倍さんの復古派・超タカ派のイメージにしばられ、かみあわない批判で終始した。そして最後に首相を退陣するまで、一度も勝利できなかった。

 

 改憲問題でも同じ構図で闘うと、同じ結果にしかならないだろう。改憲を暗黒のものとしてだけ描き、改憲に心が動く人のことを「反動」だとか「戦争したい人」と描くと、そういう人の心は護憲の側には回ってこない。

 

 その左翼・護憲派のなかで議論を深め、成長し、安倍さんが提唱した加憲に対抗し、勝利したかった。安倍さんを相手にそういう闘いができなくなったことは、返す返すも残念としかいいようがない。

 

 安倍さん抜きにはなるが、闘いの構図は似たようなものになるだろう。気持を安らかにして、この闘いを見ていてください。合掌。