志位さんの自衛隊論は党内では評判が悪い。党内では自衛隊活用論を決めた2000年の22回大会決定の撤回運動まで開始されているそうだ。そういうことをやっている人は、九条の理想をかかげて頑張れば、いつの日か自衛隊をなくせると考えているのかもしれない。

 

 しかし、もしそんな手法で自衛隊がなくせるなら、なぜここ数回紹介したような自衛隊肯定の世論が増え続けるのか。そこを考えないといけない。

 

 前々回だったか、政府の世論操作が影響しているのかという問題に言及したが、この20年近くは、護憲派による世論〝操作〟と言っては怒られるが、世論への働きかけも、かつてなく大規模なものであった。2004年に大江健三郎氏や加藤周一氏などが呼びかけた「九条の会」が結成され、全国で7000を超える会が誕生し、市区町村のすみずみで活動してきたからである。「軍事力ではなく外交で」、「九条で平和を守ろう」の訴えがこれほど国民に届けられたことは、戦後の憲法をめぐる歴史のなかで初めてのことだったと思う。

 

 それにもかかわらず、この期間、自衛隊の現状維持と増強を求める世論が増え続けたことを、護憲派はどう捉えるべきだろうか。平和をつくりだす外交努力の訴えは大事だが、それだけでは自衛隊が必要だという国民の気持ちを変えることはできないということだ。世界で戦争が絶え間なく続いており、とりわけ日本は周辺の全ての国との間で領土紛争を抱えているなかで、その現実が変わらないまま、日本だけが戦争を免れると国民が考えることはないということだ。

 

 要するに、紛争の火種が絶えない目の前の現実を変えないと、国民の意識も変わっていかない。そして、目の前の現実を変えようと思えば、現実を変えるための政治の主体とならなければならない。政権をとって中国や北朝鮮と対峙し、公船を尖閣に進入させたり、核ミサイル開発に狂奔したりする現実をやめさせないといけないのだ。

 

 ところが、共産党が政権の一角を担おうと思っても、防衛政策を持っていないものだから、中国や北朝鮮の現実を体験している国民は、共産党に政権を担ってほしいとは思えない。だから、自民党の政治が続いて、自衛隊への支持は増え続ける。

 

 悪循環とはこのことだろう。外交政策しか持っていないと、そうなるのである。

 

 だから、共産党が防衛政策を持つことへの手がかりとして、志位さんの自衛隊活用論は大事なのだ。しかし、自衛隊を活用するって言っただけで、はたして政策と呼べる水準のものになるのだろうか。(続)