「オール沖縄」は今振り返っても偉業だったと思う。その後、自民党の巻き返しもあり、参加した保守の方が抜けていくなど、衰退が叫ばれているけれども、教訓を引き出して次の段階に進めなければならない。

 

 「イデオロギーよりもアイデンティティ」。これが翁長さんの口癖だった。日米安保条約をめぐるイデオロギーで沖縄が分裂していることを嘆き、長い歴史をもつ沖縄の人々がアイデンティティで団結して、辺野古への新基地建設阻止で一致しようという提起だった。

 

 これは沖縄県民の団結にとっては大きな意義があった。これまでオール沖縄がそれなりに役割を果たしてきたのは、この精神があったからである。しかし、沖縄が直面している現実が厳しいものだけに、そこにとどまっていては前進を切り開けない限界もあったと思う。

 

 一つは、オール沖縄は、日米安保への評価を脇に置き、辺野古への新基地建設阻止の一点で共同をつくったものだが、沖縄が抱える基地問題は辺野古だけではなく、それにどう対応するかが問われたことだ。高江だ、那覇軍港だと、次々と問題が起きてくる。この間の動きを見ると、オール沖縄内の革新の側はそれら基地強化に断固として反対する姿勢を貫き、保守の側は安保堅持の立場から逡巡するのだけれど、結局は革新の側に押し切られるという構図が続いたようである。その結果、保守の人々のオール沖縄への共感が減少し、抜けていく人々も生まれたということだろう。

 

 その結果は、オール沖縄が議論した結果なのだから、そのまま受け止める。基地が強化されることに革新側が反発するのは当然のことだ。

 

 問題は、そうやって基地問題で主張を貫くなら、どこで保守の人々をつなぎ止めるのかが見えなかったことだ。いや、つなぎ止めるだけでなく、保守の人々にさらに支持を広げるのかの戦略である。

 

 この視点が大事なのは、保守の人々を再結集することは、本土の普通の国民の共感を得ることにつながっているからである。率直なことを言わせてもらえば、沖縄県民としての「アイデンティティ」といっても、それは沖縄県民を団結させることにつながっても、本土の人々のものにはならない。先進的な一部の人はそれに共感できても、大多数の人々のものにならない。

 

 そこに挑戦しようとしたのが、現在の玉城デニー知事である。コロナ禍などもあり、まだあまり見えるものになっていないのだけれど。(続)