この書評の「上」で紹介した産経新聞書評で、佐藤優さんは、共産党がまだ暴力革命を捨てていないという見方をしている。そこが中北さんの本の評価とは違うと述べている。なぜ佐藤さんがそこにこだわるのかは分からない。共産党の現在の方針のどこを見ても、暴力革命などというものは欠片も見えてこないからだ。宮本路線にもとづく共産党の前進についても、中北さんが言うように、暴力革命路線から決別したからこそ達成されたものである。

 

 もしかしたら佐藤さんは、共産党は民主集中制が組織原則だから、ある日、中央が暴力革命を公然と唱えはじめたら、都道府県から地区から支部まで党員は従うものだと言いたいのかもしれない。実際に過去に暴力革命の方針をとったことがあり、少なくない党員が従ったのだから、佐藤さんの危惧は無根拠ではないのかもしれない。しかし、それにしても、党員が従ったのは51年綱領がそういうものだったからである。61年綱領の採択以降60年も経つのに、見方が変わらないのは知的な誠実さが足りないと思う。現在の綱領に反するような方針が採択されたとして、それに従う党員は一人もいないだろう。

 

 ところで、この本にも出て来るが、その50年問題のとき、宮本顕治さんは九州地方委員会に左遷されていた。その頃、私の父親は長崎県の崎戸炭鉱の党細胞(支部)に所属していて(のちに作家となった井上光晴さんなどもいたそうだ)、父自身は宮本さんとは面識がなかったのだが、当時の父を指導していた幹部からは、私が成長する過程で宮本さんのことをよく聞かされた(父とともに50年代に生活苦で離党)。暴力革命路線と決別し、党の統一をはかる過程で、宮本さんの名前で党中央が「全ての党員に宛てる手紙」を出したのだが、その指導者がそれをいつまでも大事に保存していてびっくりした。

 

 いや、思い出話をしたいわけではない。そうやって左遷されたりして、共産党は暴力革命だということで国民から不人気な状態では、普通なら、宮本さんのように頑張れない。民主集中制の組織原則では党員の意見が反映されず問題だとする人は多いのだけれど(この本の著者もその一人である)、民主集中制の組織原則のもとでも、左遷された人がトップにまで登り詰めることができたのだ。その体験から宮本さんは、民主集中制でも個人の意見が中央を変えることができると思って、この原則を大事にしたのかもしれない。

 

 ただそれも、宮本さんほどの胆力と頭脳があれば、という条件付きだと思う。普通の党員には現実味のない話である。50年問題からの脱却のような大きな論争をしなくても、普通の党員の普通の路線上の模索が、何かに結実させるようなことができないのだろうか。

 

 この本の著者は、「党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない」ことを問題点として指摘している。それが一つの契機となるのではと、このブログでも書いてきた。

 

 そして、そのような視点で目を皿のようにして党規約を何回も眺めたが、規約には党員が党首を選ぶことを否定するような条項はないように見える。2000年の党規約改正は、かなり考え抜かれたものだったのかもしれないね。

 

 ということで、いろいろ考えさせてくれる本であった。共産党をなんとか前進させたいと思っているすべての党員にとって必読の書である。耳の痛い指摘もあるが、研究書として事実を指摘しているのであって、そこに向き合わないで党を前進させる道を見つけることはできない。(了)