そろそろ終わりにしないとね。 最後は、今回のウクライナ戦争を通じて、護憲派が自衛隊との向き合い方を変えることで、護憲の訴えが厚みを増す可能性が広がったということだ。

 

 この講演会の冒頭で述べたように、私の肩書きで「自衛隊を活かす会」の事務局長だと紹介されただけで、会場が驚きでどよめくというのが、これまでの護憲派の現実だった。だって、自衛隊のことを憲法に明記するのに反対だという理由を国民に示すため、その自衛隊をののしるようなことを言ってきたのだから。専守防衛の自衛隊に多少は理解を示す護憲派でも、2015年の新安保法制ができたことで、「もはや自衛隊は専守防衛ではなくなった」と断定し、変質した自衛隊なんか憲法に書き込んではいけないというような訴え方をしていた。

 

 けれども、侵略された時には自衛隊は必要だと思えるなら、その訴え方には変化があるはずだ。その片鱗はすでに「憲法改悪を許さない全国署名」の趣旨欄にもあらわれている。「九条の会」や「戦争をさせない1000人委員会」などで構成される「9条改憲NO! 全国市民アクション」の署名のことである。

 

 この5月に署名用紙が新しいものになった。これまでの署名用紙にはなかった文言として、岸田内閣が「専守防衛を投げ捨てる『敵基地攻撃能力』を保有」しようとしていることをあげ(「敵基地攻撃能力」は以前の署名用紙にあったが「専守防衛を投げ捨てる」という言葉が署名用紙にあらわれたのは歴史上はじめてである)、加憲のねらいは「憲法解釈を変更して他国に攻め入る自衛隊に変質させることです」と述べている。

 

 もちろん、自衛隊には専守防衛ではなくなっている要素もあるのは事実だが、基本的にはまだ専守防衛だという認識である。そして、専守防衛に踏みとどまるのか、それを投げ捨てるのかが、改憲をめぐる対決点であると訴えているのである。

 

 こうして、専守防衛を肯定的に捉え、それを守ろうということが、少なくとも紙の上では呼びかけられている。署名を訴えている人が、それをどこまで自覚しているかは分からないけれど。その転換を護憲派一人ひとりが自覚し、訴えられるかが、勝負のカギとなるのではないか。

 

 私としては、何回も強調して恐縮であるが、この出版社に入って最初につくった本、『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』の路線の延長にある訴えである。「自衛隊を愛す」と言えなくても、「自衛隊員を愛す」、だから「憲法9条を守る」という訴えができるかが、護憲の行方を決めることになると思う。(続)