「国防を真剣に考える護憲派」ということでは、昨日来のウクライナ戦争の動きも、護憲派には考えどころ満載である。アメリカはウクライナに対して武器を援助するけれども、ロシアにまで届く射程のある武器は供与しないという問題である。

 

 バイデンがそう言っているのは、アメリカが供与した武器がロシアの領土を破壊し、国民を殺戮するようなことになれば、ロシアにNATO諸国を攻撃する口実を与えるということだろう。ロシアがそこまで戦線を拡大する能力があるかは疑わしいが、可能性が生まれることは確かだ。

 

 この判断に関しては二つの見方ができる。一つは、ウクライナが苦戦しているのは、ロシアを攻撃するだけの軍事力がないからで、戦争に勝利するには、やはり専守防衛だけでは足りず、敵基地攻撃能力が必要だというものだ。いま日本はそれをアメリカに頼っているけれども、いざという時にアメリカは及び腰になるから、日本自身がこの能力を持っていないといけないという立場につながる。

 

 しかし、私はそういう見方を取らない。確かに、ロシア領内の軍事基地からミサイルが飛んできていて、ウクライナは対抗する手段がない。その敵基地を攻撃する能力があったら対抗手段になるというのは、軍事的には選択肢なのである。けれども、ロシア領内にまで攻撃を拡大することになると、ウクライナの戦力は分散することになる。現在、東部や何部を中心にロシアの地上部隊と対決することに集中しているが、そこでも苦戦しているのに、力が削がれるのである。

 

 しかも、ロシア領内を攻撃するとなると、もともとはロシアの攻撃で開始された自衛の反撃だとはいえ、ロシアがやっていることとの区別が付きにくくなる。「どっちもどっち」論が生まれかねない。現在はロシアの部隊とだけ戦っているので戦争犯罪は起こしにくいが、ロシア領を攻撃するとなると、民間人を巻き添えにしかねないだけに、よけいに「どっちもどっち」になっていくのである。

 

 いま、一部にロシアを擁護する見解もあるが、総体としてウクライナ支援で国際世論が一致しているのは、ウクライナが自国の領土内にいて、日本流に言えば「専守防衛」に徹しているからである。専守防衛に徹することは、政治的な支援を獲得する上でも、軍事援助を受ける上でも、きわめて大事な要素なのだ。敵基地攻撃能力というのは軍事的には正解という要素があっても、政治的にはそうではないということでもある。

 

 護憲派は、どこまでの防衛能力ならOKなのか。ウクライナ戦争は、その問いを突き付けているように思える。(続)