この日韓政府合意ができる過程で、韓国政府と挺対協(当時)がどんな協議を行っていたのか、その記録の一部が昨日公開された。各紙がとりあげているが、ここでは韓国の「中央日報」を参考にして論じる。『「韓国外交部、慰安婦合意の前日にも尹美香氏に内容説明」文書公開』という見出しが付いている。

 

 これは大事な問題だ。15年12月末に合意が発表されると、挺対協の尹美香代表が、被害者にはなんの相談もせずにできた合意だ、被害者不在の合意だと批判をくり広げ、大統領選挙で文在寅氏がそれに乗っかかって当選し、やがて合意は破綻することになったわけだが、その批判の原点にかかわってくるからだ。

 

 合意の中身が大問題だったわけではなかろう。発表時点で、すくなくとも日本側で、合意を全否定する政党はなかった。「女たちの戦争と平和資料館」(wam)も「出発点」になりうるものと位置づけた。民団も支持を表明した。

 

 実際、尹美香は17年の国会で、「(日本政府が)政府の責任を認め謝罪と反省を行い、政府出資金が出てくれば、この三つが合わさることで我々の求める形に近づくことから、我々は(日本政府に)要求した」「金銭を取り戻すことが重要ではなく、その性質が重要」と答弁したとされるが、少なくとも形式的にはそれを満たす合意であった。10億円は「政府出資金」だったし、合意の日、岸田首相は、「日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」と記者会見で正式に発言した。

 

 尹美香の三つの要件は満たされているのに、それでも韓国側が「心からのものになっていない」として批判し、世論に広がったのは、「被害者に相談がなかった」という尹美香発言が、「なるほど」と思わせるものだったからだろう。その後、慰安婦の一人が、「尹美香は知っていたはずだ、それを慰安婦には伝えなかった」と批判し、尹美香は合意の前日には知らされたが、全部ではなかったと弁解した。

 

 今回の記録は、15年の3月から12月まで、4回にわたって韓国外務省が尹美香側と相談していたことを示すものだ。それが事実なら、尹美香のこれまでの説明と異なる。

 

 尹美香は報道によると、外務省とは日常的に協議する関係だったと述べているそうだ。会談したというだけでは、年末の合意に関しての相談かどうかは分からないということだろう。

 

 それだったら、今回の記録は黒塗りが多かったというわけだから、全部を公開するようにしたらどうか。尹美香もそれを望んでいるというし。

 

 この問題、それそろ決着させたいと思う。日本の首相が15年合意の外相だった岸田であることも好都合だろう。15年に記者会見で述べた内容を、どこか適切な場所で再び語ればいいのである。

 

 きっともめるのは、大使館前の少女像の問題だけだ。日本側は撤去を求め、韓国側は「適切に解決する」ということで、決着が難しい。私は、15年合意の半年ほど前に上梓した本(『慰安婦問題をこれで終わらせる。』)のなかで、少女像を包み込むような新しいモニュメントをつくり和解の象徴として維持することを提案している。そんなやり方しかないと思うけれどもね。