「侵略の定義」はこの問題の一つの到達点であったが、その後も、いろいろな変化があった。実際の戦争を通じて、国家が新たな態度をとるようになったことである。二つ述べておく。

 

 一つは、ユーゴスラビアの内戦を通じて、NATOがユーゴ空爆に踏み切ったことがあった。ロシアがセルビアの後ろ盾になっていたこともあり、国連でオーソライズされることなく、独自に空爆に乗り出したわけである。

 

 私が注目したのは、ユーゴがNATO諸国を国際法違反だとして国際司法裁判所に提訴したのだが、提訴した相手の国である。この空爆には、当時の加盟19か国全てが参加したのだが、ユーゴが提訴したのが、実際に爆撃を行った10か国に限定されていたことである。空爆のための基地を提供するに止まったギリシャを訴えることはしなかったのだ。NATO以外でもボスニア、マケドニア、アルバニアが航空基地を提供したが、これらの国も訴えられなかった。

 

 「侵略の定義」では、基地の提供も爆撃する行為と同じ位置付けが与えられていたのに、攻撃された側がその二つを区別したわけだ。実際、今回のウクライナ戦争のように、戦車などの地上部隊が侵攻するための基地となったベラルーシなどとは、同じ基地の提供と言っても重さに違いがあるのかどうか、その点は今後も議論されていくだろう。

 

 もう一つは、イラクのクウェート侵略とその後の湾岸戦争である。19世紀に「中立」概念を生み出した国際法は、戦争が違法か合法かという問題を区別していなかった。しかし、国連憲章は、侵略(国連加盟国に対する武力攻撃)を明確に違法なものとして位置付けた。とはいえ、戦後たくさんの侵略はあったが、冷戦下で安保理がそれを認定するようなことはなかったのだ。イラクのクウェート侵略は、戦後初めて国連憲章が機能した戦争であった。

 

 その結果、国連加盟国が実際に体験したのは、もはや「中立」概念は機能しなかったことだ。だって、イラクの侵略に際して安保理が一致して決議したのは、「すべての国連加盟国」が個別的集団的自衛権を行使してクウェートを助けなさいということだったからだ。その後、国連が多国籍軍に武力行使を授権することになったが、軍隊を派遣することは加盟国に強制されなかったとは言っても、国連加盟国がクウェートの側に立つことは当然の前提とされており、やはり「中立」はあり得なかったのだ。

 

 この問題に限らない。もし安保理が違法だと認定する戦争ならば、侵略された国を助けるために武器援助をするなどの行為は、国際法上は合法な行為なのであって、求められる行為ということになるのである。「武器援助は参戦行為か」という問いには、そちらの側につくのか!というニュアンスが含まれているが、この種の戦争では加盟国は侵略された側につく以外の選択肢はないのである。それぞれの国がどこまで援助するかは憲法などの国内事情で縛られるだろうけれど。

 

 今回のウクライナ侵略は、明白にロシアによる国連憲章違反である。ロシアが常任理事国だから国連として認定できないだけの話である。その結果、武器援助が参戦かどうかという議論になっているのだが、ロシアが常任理事国でなければ、そんな議論さえ起きなかったであろう。「武器援助は参戦行為か」という問いは、なかなか重たい問いなのである。(了)