NATO諸国による武器援助なしに、ウクライナがこれほど効果的に戦争することはできなかっただろう。一方、NATO自身は、自分たちが参戦するリスクを取らないため、武器援助にとどめると公言している。他方のロシアは、NATOが武器援助をすれば予測できない結果をもたらすとして、反撃する可能性を示唆している。武器援助を参戦とみなすということだ。

 

 ということで、今後、武器の援助という行為について、実際は参戦なのかどうかという問題が浮上してくるので、暇なうちにその問題をめぐる国際法を整理しておきたい。武器援助が参戦ならば、アメリカもNATOもすでに参戦しているのであって、ウクライナが代理で戦争しているわけではないことになるし。

 

 19世紀型の国際法をそのまま適用すると、戦争している国に武器援助をすることは、まぎれもない参戦行為である。19世紀において、戦争する国があると、それに巻き込まれないことを考えた国々は「中立」を宣言することになる。そのため、中立国が守るべき義務が定められていく。

 

 例えば、中立国は自国の領土を交戦国に使用させてはならないとされた。あるいは、交戦国に対して武器援助などもしてはならなかった。そういう行為をすれば、もはや中立国とは見做されなくなり、交戦の相手国から攻撃をされても仕方ない立場におかれたのである。

 

 20世紀になっても、アメリカは、この考え方から「中立法」を制定した(1935年)。交戦国に対する軍需物資の輸出を禁止したのである。日本が中国との戦争を「事変」と呼んだ理由は、アメリカから鉄などの戦略物資の輸入を継続したかったからであることは、大変有名な話である。

 

 なお、そういう具体的な戦争行為に至らなくても、参戦国の仲間入りすることは可能だった。というか、当時の国際法では、参戦することの基準は、あくまで開戦することを相手国に通告することだったからだ(「開戦に関する条約」1907年)。第二次大戦では、日本などの枢軸国に対して開戦を宣言した国は合計で47か国に及ぶが、その中には、日本が敗戦する4か月前に参戦した遠く離れたチリも含まれる。日本との戦争のために兵力どころか武器を送るようないとまもなかったであろう。

 

 法的に参戦国となるにはその程度のことで足りるということなら、国連総会でロシア批判の決議に賛成したら、それで参戦となるのかという問題も生まれる。あるいは経済制裁に参加することと参戦の関係という問題もある。武器援助も含め、このあたりは、20世紀になって戦争の違法化が進み、国連が結成されるようになって大きな変化があった問題である。(続)