いや、別に批判しようというわけではない。逆である。歓迎しているのだ。

 

 ただし、野党共闘政権にここまで高い位置付けを与えるなら、いろんな問題を再検討しなければならない。特に安保条約をめぐる問題だ。

 

 共産党員の多くは、安保条約こそが諸悪の根源だと教えられてきた。安保があるから戦争に巻き込まれると言うだけでなく、日本の経済と国民の暮らしが脅かされるのも、根源には安保があると叩き込まれてきた。

 

 だから、安保条約を廃棄する民主連合政府でこそ、日本の政治が根本的に転換すると言うのであった。だからこその「民主」連合政府である。

 

 ところが、安保を維持していても「民主」的政権なのである。私はそれで構わないのだが、それなら安保条約に対する位置付け、考え方も転換しないと整合性がないだろう。

 

 安保条約にはアメリカの世界戦略に日本を巻き込む危険があるし、廃棄すべき対象だという位置付けを変える必要はない。しかし、野党共闘政権がが安保を維持すると言うことは、共産党が参加する民主的政権ならば安保の危険を低減、緩和できるということでなければならないと思うのだ。

 

 つまり、安保条約があれば自動的に日本が戦争に参加すると言うことではなく、日本政府がしっかりと自己主張する政府になり、アメリカにしっかりとモノを言う政府になれば、アメリカの手を縛ることができる。安保条約はそういう性格のものだと言うことである。あるいは、安保条約の下でも、地位協定の改訂などを通じて、在日米軍の横暴を許さず、日本の主権を貫けると言うことだ。

 

 さらには、侵略されれば自衛隊を活用するし、安保容認の野党政権が「民主的」政権だと言うならば、安保・自衛隊政策をめぐって、立憲民主党との間に越えられない壁はないと言うことにもなる。いや、将来的には安保廃棄で自衛隊解消だから根本的には違うのだが、当面の基本政策はあまり変わらない。

 

 それならば、野党政権では共産党の安保・自衛隊政策は留保するというのではなく、安保容認・自衛隊活用という共通するベースの中で、立憲などともどこで政策を一致させるのか協議することにすべきではないか。「安保・自衛隊政策は留保する」というのでは、あの危なっかしい立憲の安全保障政策を野党内では誰も批判できず、意味のある変化が見通せないのだから。

 

 なんだか、先が見えてきたような気がする。もっと頑張らなくちゃ。(了)