ウクライナ戦争をふまえ、日本と世界の安全保障をどう捉え直していくのか。その問題意識から、自衛隊を活かす会の面々(柳澤協二、伊勢崎賢治、加藤朗)と元防衛研究所戦史部長の林吉永さん(元空将補)が4月1日に座談会を行いました。その冒頭部分だけですが、「ウクライナ戦争以後の世界と日本――新・安全保障論」として集英社新書のサイトにアップされています。私の名前も「構成・文」を担当したとして出ております。どうぞご覧ください。本になるのは秋だと思われます。というか引き続き「構成」に苦心しておりますが、刊行の際はよろしくお願いします。

 

 それに合わせたわけではありませんが、昨日から東京に出てきています。昨夜は、伊勢崎さんのお家にお邪魔して、キーウとリビウを旅してきた加藤さんのお話を伺ってきました。加藤さんは、国際政治学者としては珍しく、戦争の現場に実際に足を運ぶことが信条の人で、頭が下がります。

 

 その加藤さんが言うには、いろいろな紛争地に行ったけれど、ミサイルがいつ落ちてくるかわからない現場は初めてだったそうで、空襲警報が鳴り響くことの恐怖を初めて体験したことを語ってくれたのが印象的でした。それでもしばらくいれば慣れるそうですけれど。

 

 日本が戦場になる場合、ウクライナのように戦車が押し寄せてくることはあまり現実的ではありません。しかし、ウクライナの何倍、何十倍ものミサイルが落ちてくることは想定し、どうするのかを考えておかねばならないでしょう。

 

 そういう戦争ですから、ウクライナのように、男性の市民に銃を持たせて訓練するというようなことは考えなくてもいいようです。けれども、ミサイルで破壊されたショッピングセンターとか病院とかの瓦礫の撤去とか再建とかは、市民が引き受けることを想定して対策をとることは必要となるかもです。銃を持たなくてもいいとはいえ、ミサイルが落ちてくる中での作業となると、こちらも命懸けであることには変わりがないのかもしれません。

 

 ウクライナ戦争は、本当に、いろいろなことを考えさせてくれます。