自民党のいわゆる敵基地「反撃」論への言い換えをめぐっては、いろいろ言いたいことはあるのだが、ウクライナ侵攻が目の前であるだけに、リアリティを持った反論ができないと説得力に欠けることになる。そのためかえって足をすくわれることになる。

 

 この問題は日本ではずっと、敵が日本にミサイルを撃ってくるとして、それにどう対処するかという議論として存在してきた。ミサイルが落ちてきても座して死を待つのが憲法の立場だという人もいるが、それを支持する人はごく少数であって、どの時点ならば敵のミサイルを撃ち落としていいのかという問題であった。この点をおさらいしておこう。

 

 ミサイルが発射されて、まさに日本に向けて落下してくる局面で撃ち落とすのは問題なかろうということで、PAC3などが配備された。本当に当たるのかとか、無駄遣いではないかという議論はあったが、どんなことがあっても撃ち落としてはならないという人はあまりいなかったと思う。同時に、落下の局面に入った段階だけでは心配だということで、まだ高高度の段階に相手のミサイルがいる場合も、イージス艦などのシステムで撃ち落とすための装備も導入されてきた。

 

 そういうものではなく、ミサイルが発射される基地を攻撃して破壊すれば、もはやミサイルが日本に飛んでこないのだから、そちらを選択しようというのが、現在の自民党の議論である。ただし、そういう議論は1950年代から存在していた。その際も、国連憲章で規定された自衛権の観点から、どんな場合に敵基地攻撃が許されるのかという議論がされていたわけである。

 

 国連憲章第51条は、「武力攻撃が発生した時に」自衛権を行使できるとしている。「発生した」という言葉は、なかなか微妙である。この条項を「被害が発生した」段階を指すのだという人もいたが、「被害が発生した」という言葉があるわけではないし、ミサイルが日本に落下してきていることが明白であるのに、被害が発生するまでは手出しができないのはおかしいということで、PAC3などは問題なしとなったわけである。

 

 一方で、敵の基地からすでに2発、3発とミサイルが発射され、日本に被害が出ている局面で、敵が4発目も発射するぞと表明し、発射台にミサイルを配備した段階でもその基地を攻撃してはならないのかという問題も議論された。それでもダメだという議論は、なかなか通用するものではないが、では1発目を発射台におき、相手国の指導者が「これを日本に向けて発射するぞ」と表明し、燃料を注入している段階ではどうなのかという議論もあった。

 

 それらの議論を通じて、基地を叩かなければ日本国民が多大な被害を被ることが明確な場合、基地を攻撃することは憲法上は許されるが、日本はその種の政策はとらないというのが、これまでの議論の流れだったのである。まあ、今紹介したような議論が、どうにも空想的に思えたことも、こういう結論になった背景にあると思う。

 

 しかし、ロシアのウクライナ侵攻は、これが空想ではないことを提示した。なんと言っても、ウクライナがロシアのミサイルで多大な被害を受けているからである。そのミサイル攻撃に対してウクライナはどんな反撃をできるのかが問われているからである。(続)