この二つの戦争の比較はいろんなところでやられている。私が特別の関心を持っているのは、いわゆる平和勢力内の構図のことだ。

 

 二つともが侵略戦争であったことは明白だが、どちらも国連安保理常任理事国が侵略者の側であったため、安保理は侵略を止めさせる機能を果たすことができなかった。ただ、安保理の討議における当事国の孤立はイラクの際も同じであった。

 

 アメリカのパウエル国務長官が戦争に反対する国を「古い」と切って捨てたのに対して、フランスのドビルパン外相が何世紀もの戦争を体験した「古い国」の誇りを語って拍手喝采を浴びたのは記憶に新しい。あの討議を通じて、イラク査察を続けようという意見が安保理15か国中12か国にも達したのに、アメリカは戦争に踏み切ったのである。

 

 はっきり言って、国連憲章違反、国際法違反という点では、両者に変わるところはない。違うとすれば戦争の目的であって、今回のロシアは領土の獲得という「古い」戦争目的を掲げているのに対して、当時のアメリカは「大量破壊兵器の破棄」という「新しい」目的を掲げていたという程度だろう。その「古い」戦争目的によって、今回のロシアの戦争の古さが際立ち、世界を19世紀に引き戻したという評価になるのであって、その点での違いはあると感じる。ここは今後も議論されるべきことだ。

 

 問題は平和運動、市民運動である。イラク戦争の際は、運動の側が、侵略者であるアメリカを批判するのが当たり前だったと思う。アメリカが戦争に踏み切る背景のことも考えるべきだという主張は、アメリカに追随する国々の政府やそれを追認する国際政治学者の中では多々見られたが、市民運動の側には存在していなかったのではないだろうか。あるいは、イラクに対して、無辜の市民の死を生まないために直ちに降伏しろとか、アメリカに妥協しろという声も聞こえなかった。

 

 それが、今回のウクライナ戦争においては、もちろんロシアを糾弾し、ウクライナを擁護する世論が圧倒的ではあっても、市民運動の側に別の主張が存在する。ロシアの事情も考慮しろとか、ウクライナにも原因があるとか、市民の殺戮を生まないためにウクライナは降伏しろとか、そんな意見である。イラクの時には目立たなかったそんな主張が、今回、なぜ生まれているのだろうか。

 

 この点を突き詰めることが、平和運動の側の団結にとって大事だと思うのである。まだ結論に至っていないが、明日まで考えてみよう。(続)