(9条の会・新日本婦人の会・平和ネット3.5講演会の記録)

二、それでも憲法9条を守る意味はどこにあるか

 2、国民意識との乖離を埋める大仕事に挑める

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 正直なことを言えば、私は、ただ9条の文面を守るというだけなら、そう難しい仕事ではないと思っています。だって、あれほど改憲に熱意を燃やしていた安倍首相の下で、ずっと衆参とも3分の2議席を確保していたのに、国会の憲法審査会では改憲案の議論にすら入れなかったのです。

 

 今後、議論が進んでいく要素は存在します。これまで野党は、安倍政権下で立憲主義が危機に瀕したことを背景にして、「安倍改憲に反対」ということで一致していましたが、岸田さんが首相になったことで政権の横暴さを批判することが難しくなり、一致点が崩れる可能性があります。というか、すでに崩れていて、これまでは改憲論議を主導する自民党に野党が対峙していたのが、野党のなかで議論を主導する勢力が生まれたので、議論が容易になっています。

 

 それでも、安倍政権下で議論が進まなかったのは、根本的にはやはり世論の警戒が背景にあるからです。いまや自衛隊を縮小すべきだという人は数パーセントの低いほうだし、廃止にいたってはほぼゼロでしょう。しかし、9条を変えるべきかどうかの世論調査では、改憲と護憲が拮抗しているのが現状です。自衛隊を認めることと改憲は直結していません。

 

 そういう状況下で、改憲で突っ走ろうとしたら、自民党政権というのは右にも左にも中間層にも配慮することで多数の議席を得ているわけですが、特定の立場に立っていることが突出して、政権の維持ができるのかという問題に直面することになります。それでも強行するとなると、彼らにも相当の覚悟が必要になるのです。

 

 だから、改憲阻止だけを目標にするならば、それほど難しくはない。けれども、これまで述べてきたように、それでは日本は戦争する国であるという現実を変えることにならないのであって、護憲派がその程度の低い志にとどまっていいはずがない。そして、日本を本当に戦争する国にしないということをめざすなら、その目標はきわめて遠くにあって、むちゃくちゃな力業が必要です。

 

 アメリカが戦争する際、自衛隊が武力行使にまで至ることを止めさせるには、2015年の新安保法制の廃止が必要です。さらに進んで、日本が米軍の後方支援をしないという目標を実現するには、99年の周辺事態法の廃止にまで行かなければなりません。

 

 なお、余談になりますけれど、基地の提供が参戦国になること(国連憲章51条で規定された武力攻撃にあたる)を意味することはすでに述べましたが、戦争する国に武器を提供するなどの後方支援(=兵站)については、1986年、国際司法裁判所が、武力攻撃とまでは言えないが、「武力による威嚇または武力の行使とは見なされうる」という判決を下しました。アメリカやNATOがウクライナに防空システムなどの武器を提供しており、それは武力行使には当たるけれども、ロシアがそれを理由にしてアメリカに対してアメリカなどに武力攻撃する口実にはならないということです(法的にはということであってロシアが何をするかは分かりませんが、いまのところプーチンはNATOがウクライナ上空に飛行禁止空域を設定したら参戦国とみなすと述べているので、武器の提供だけで参戦だとは言っていません)。当然のこととして、防弾チョッキを提供した程度では、ロシアが日本の反撃する理由にはなりません。

 

 さらにさらに進んで、米軍に侵略のための基地を提供しないためには、根本的には日米安保条約の廃棄が必要となります。あるいは、日米安保条約を維持したままでも、米軍が日本を侵略の基地として使用しようとしたら、日本がそれにストップをかけられる仕組みが不可欠です。現在、米軍の出動や核兵器の持ち込みなどの場合の事前協議制度がありますが、これを協議ではなく合意制度にまで高めるということです(ただし合意で核持ち込みということになると、いま議論されている核兵器の共有という領域に入り込むので、護憲派が「協議」ではなく『合意」にせよと言えるのかは別の検討が必要です)。

 

 そして、護憲派がそこまでやろうとしても、国民世論の現状はそうなっていません。国民世論の現状と護憲派の目標の間にはすごく深い溝があるのです。しかし、日本を戦争する国にしないためには、どうしてもその溝を埋めなければならない。護憲派は本当に大事な仕事をしているのです。(続)