マウリポリはもう包囲されたも同然だし、キエフにもまもなくその危機が迫っているようだ。電気や食料も十分でなく、人々を生かそうとすれば、ロシア軍の包囲網のなかをどうやって届けるのかという課題が、日を置かず浮上することになるだろう。

 

 一つは赤十字国際委員会など、戦争下でもそういう役割を与えられた組織が、ちゃんと役割を果たせるようにすることだ。とはいえ、ロシアは、自分たちは攻撃していないという立場をとっているから、果たして無事に仕事ができるかどうか分からない。

 

 そのうちに、キエフなどに空から食料や医薬品を投下するようなことも、現実の問題として考えなければならないかもしれない。第二次大戦後、ソ連軍がベルリンを封鎖した際、アメリカ空軍が毎日、大規模の空輸で西ベルリン市民を救ったことを思い出す。

 

 でもこれは、ロシア空軍の妨害や対空砲火を避けながらの任務になるので、非常に危険である。というだけでなく、輸送機をロシア空軍の攻撃から守ろうとすると、戦闘機が随伴してロシア空軍と戦う必要性が生まれてくる。この間、ゼレンスキー大統領が、飛行禁止空域の設定をアメリカやNATOに求めてきて、その要請が拒否されてきたが、それと同じことである。

 

 しかし、食べるものが底をつき、病気で死が迫っても薬の投与もできないという事態が日々報道されるようになっても、戦争になるから食料投下もできないという立場がいつまで堅持できるのか。苦渋の判断が迫られるのを前に、よくよく考えておかねばならない。

 

 これはアメリカやNATOだけの問題ではない。戦争の危険を犯さないとできない人道支援の問題である。

 

 日本の左翼、平和運動のなかでは、あの防弾チョッキの問題でも見られたように、軍事支援はだめで人道支援に徹するのだという立場がある。しかし、軍事支援と人道支援の間には、戦争下ではそれほどの違いはない場合がある。9条を原理主義的に解釈すると、戦闘機に守られて投下する人道支援物資のためにカンパするのはダメだということになってしまう。かといって、では護憲派は、丸腰でキエフに食料を運ぶ「9条部隊」のようなものをつくるのだろうか。

 

 このままではきっと、そういう究極の判断が求められることになるだろう。本当に自分のこととして考えなければならない。