共産党に通じている人はよく知っていることだが、共産党は長い間、自分のことを「護憲政党」とは呼ばなかった。61年綱領でも、憲法には民主的な条項もあるが、一方で「反動的条項」もあると書かれていた。反動的条項の象徴が天皇制だったわけだが、9条に関しても、主権国家が軍備を持たないのはあり得ないことだとして、将来、9条を変えて軍備を保有することを展望していた。私が学生生活を送り始めた70年代半ば、厳格な綱領学習で知られていた東京大学の共産党の支部では、この9条も「反動的条項」として教えていたほどだった。

 

 そこを転換したのが1994年の第20回党大会。9条を将来にわたって堅持するし、侵略された場合は「警察力と自主的自警組織」で守るという、絶対平和主義への転換を行ったわけである。

 

 それまでは、共産党の安全保障の立場として、「文字どおり自衛で、節度ある防衛に限定して軍隊を持ち得るという(憲法)規定を適当な方法で考慮する」(宮本議長、69年)という観点だったので、自衛のための防衛力の保持と発動は当然だと言えたのだが、そう言えなくなる。しかも困ったことに、私はその党大会の直後、共産党の政策委員会に勤めることになり、安全保障を担当したのである。自分がまったく関与しないところでつくった絶対平和主義の方針を、立場上、自分が説明しないといけない立場に置かれたわけだ。

 

 最初に学習会の講師を務めたのは、党本部内のことである。共産党で綱領学習に責任を持つのは学習教育局というところなのだが、そこの幹部などが、この方針転換の意味が分からないと詰め寄ってくる。主に私が追及されたのは、日本が安保条約を廃棄して独立民主の日本へ向かうとして、日本が軍隊を持たなければ、アメリカがそれを押しとどめようとして武力を発動してくるのではないか、その危険性を見誤ってはいけないということである。

 

 大変道理のある見解だ。しかし、私が綱領は間違っているとは言えないので、「平和的な世論と運動を結集して、アメリカがそういうことができないように追い詰めるのだ」と説明したし、相手も私が関与した決定ではないことを承知しているので、すぐに矛を収めてくれた。

 

 しかし現在、そのやり取りを通じて考えるのは、9条を堅持して軍備は持たないという94年の決定も、やはりアメリカ帝国主義論と密接に関係を持っていることだ。その学習教育局の幹部(私などはその人の論文を見て綱領を勉強してきたのだ)が言うように、帝国主義というのは軍事力で革命運動を鎮圧するのである。もし世論と運動次第で、アメリカが帝国主義の立場を放棄し、日本の革命運動の発展を見逃すというなら、それはもう帝国主義とは言えないということと通じるのである。

 

 だから、9条を将来にわたって堅持し、自衛隊も否定するという20回大会の立場は、実はアメリカという国に対する見方の変更をもたらしていいはずだったのではなかろうか。日米安保条約の廃棄という課題は追及するにしても、いま現在、安保条約が存在していても、世論と運動でアメリカの帝国主義的策動には歯止めを掛けるのは可能だという立場に立てるのではないか。それなら、やはり、他の野党と接点が出てくるはずなのである。(続)