本日、私用でバタバタしていて、馬力の必要な連載まで手が届かないので、軽い話題を。もう過去の話になっているかもしれないけれど、これが問題のツイッターだ。

 

 「憲法9条をウクライナ問題と関係させて論ずるならば、仮に(ロシアの)プーチン大統領のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」

 

 いろんな角度で話題になっている。主に、問題は日本が侵略する国になるかどうかではなく、日本が侵略されることを想定したら(今回のロシアの侵略で現実味のある問題だと国民が理解したから)、果たして自衛隊を否定していていいのかという角度からだ。

 

 私は別の角度で話題にしたい。9条があったら、志位さんが言うように、日本で「どのようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができない」のだろうかということだ。

 

 これは、戦後の日本が、自民党政府のもとでも侵略したことがないことを前提にした話である。しかし、それは戦後の自民党政治を誉めすぎだろう。

 

 だって、じゃあベトナム戦争はどうだったのだ。日本はアメリカのベトナム侵略の基地であったし、後方支援の拠点でもあった。そして、志位さんが周辺事態法をはじめ国会論戦で自民党を追い詰めてきたように、他国の侵略のために基地を提供することも後方支援することも、それ自体が立派な侵略行為だということだ。それが国際法の基本的な考え方だということだ。

 

 ベトナム戦争の時も、だから、ベトナムは日本を侵略国と位置づけて反撃することが法的に認められていた。それをやらなかったのは、ただ、日本まで届くようなミサイルなどを保有していなかったからに過ぎない。2003年のイラク戦争も同じだ。

 

 だから、ウクライナの事態に即して言わなければならないのは、たしかに日本はロシアのような直接の派兵はしていないが、独裁者を戴くベラルーシのような役割を果たしたことがあることだ。憲法9条があってもだ。

 

 そして、さらに大事なことは、これも志位さんがいつも指摘しているように、2015年の新安保法制によって、日本はアメリカのために基地を提供したり後方支援するだけでなく、みずから参戦するのが可能になったことだ。憲法9条があるだけでは、日本が侵略する国になることは防げないということなのだ。

 

 だからこそ、志位さんは、自民党政府に替わって、野党共闘政権をめざしたのではなかったのか。自民党政権でも9条があれば侵略はしないというなら、何のために政権交代を掲げるのだろうか。