話は前後するが、2000年になって、不破さんがテレビ番組に出演した際、「侵略されたらどうするのだ」と詰め寄られて答えに窮したことをきっかけに、いわゆる自衛隊活用論が誕生する。そして、侵略された時と大規模災害の時に自衛隊を活用する立場が、2004年の党大会でオーソライズされることになる。

 

 この自衛隊活用論も、共産党の内部から強い批判が寄せられた。その批判はほぼずべてが、軍事力そのものを否定する絶対平和論、その日本的なあらわれである憲法9条擁護論からのものであった。

 

 しかし、いまでは議論にもならないが、共産党にとっての自衛隊論というのは、それまでは本質的にはアメリカ帝国主義論と不可分な関係にあった。「自衛隊=アメリカ帝国主義に従属した軍隊」だから解体し、独立民主の日本では新しい軍隊をつくるのだという視点で、共産党の自衛隊論は構成されていたのであり、絶対平和主義の立場からのアプローチではなかった。

 

 不破さんが答えに窮したと書いたが、冷戦が終焉するまでは、この問題で答えが見つけにくいということはかなった。現在、尖閣諸島が焦点になっているように、当時はソ連軍の北海道侵攻の議論が華やかだったが、そういう事態はアメリカとソ連が世界規模で戦争を開始した際、日本がアメリカに従属する立場で自衛隊を動かすが故にソ連が北海道から攻めてくるという想定があったので、安保を廃棄して中立の立場に立てば攻められることはないという答えだけでも、それなりに世論を納得させられたのである。

 

 ところが、冷戦が終わり、そういう想定が現実味を失った。そして、1994年には北朝鮮の核疑惑が現実化すると、アメリカと日本の関係がどうあれ、北朝鮮が日本に対して長年の恨みを晴らすのではないかという不安が生まれる。2000年頃には中国はまだ現在のような軍事覇権主義を露わにしていなかったが、核を保有する軍事大国であることは間違いなかった。尖閣諸島問題などは、日米安保があるから戦争に巻き込まれるという枠組みの思考では対応できないというより、安保がないと中国は絶対にやってくるだろうと国民多数が考えるような問題である(アメリカは助けに来ないだろうけど)。

 

 要するに、冷戦後になって、「どこかの国が攻めてきたとして、自衛隊なしにどうするのだ」ということがリアルな問題になったということだ。だから、テレビ討論会でもそれがテーマになり、共産党も「安保があるから巻き込まれる」という回答では説得力がないと自覚せざるを得なくなったのだ。

 

 だから、自衛隊活用論を共産党が採用したことは正しかったが、党内ではそれを否定する潮流が根強い。2004年の党大会の決議も、志位さんによると自衛隊を活用するのは安保条約を廃棄して以降であり、安保が存在する現時点では活用しないという、わけのわからない解釈がされている。安保が存在する限り(つまり現在は)活用しないのだから、せっかく自衛隊活用という方針を決めたのに、尖閣が奪われても自衛隊で奪い返すのが政策だと位置づけることができない。基本政策だと言えれば野党と共通するのに、そうではないから自衛隊政策も野党と真逆になって、野合批判から逃れられないという構図ができてしまったというわけだ。(続)