2001年の同時多発テロ(9.11)も、冷戦後の世界を象徴する出来事であった。アメリカの本土が武力攻撃を受けることなど、それまで誰が想定していたことだろうか。

 

 共産党は、直ちに不破さんと志位さんの各国首脳への書簡というかたちで(9.17)、態度を表明した。この書簡は冒頭、「多数の市民の生命を無差別に奪う憎むべき蛮行であり、絶対に許されない卑劣な犯罪行為」と述べているように、テロに反対する立場を明確にしたものである。一方、書簡のタイトルが、「テロ根絶のためには、軍事力による報復でなく、法にもとづく裁きを」とされていることからも分かるように、テロに対して軍事力を使う立場を批判し、あくまで首謀者を裁判にかけることを求めるものであった。この書簡が出た直後、私は党本部勤務員の学習会で講師をしたのだが、かなりの勤務員は「そもそもアメリカが悪いのだ」「因果応報だ」みたいな考え方に囚われていて、びっくりした記憶がある。

 

 そういう党員の実情からすると、書簡でテロを糾弾しただけでも共産党は正常な反応をしたのだが、それだけでは済まなくなる。だって、首謀者を裁判にかけるといっても、ビンラディンがタリバン政権に匿われていて、引き渡しが実現しない事態が続いたからである。「法による裁き」を何百回と口にしても、実力でビンラディンを確保しない限り実現しないことが明白なのだ。アメリカだって、そう言って軍事行動に踏み切ったわけである。

 

 そこで翌月、2回目の書簡が出される(10.11)。タイトルが、「一部の国による軍事攻撃と戦争拡大の道から、国連を中心にした制裁と“裁き”の道へのきりかえを提案する」となっていることに注目してほしい。テロに対して「裁き」だけではなく国連による「制裁」が必要だという立場に立ったのである。書簡では、経済制裁がうまくいかなければ「(国連憲章)第42条にもとづく『軍事的措置』をとることも、ありうることです」と述べている。

 

 湾岸戦争の際、多国籍軍の武力行使に対して共産党がとった態度は、それに反対しないということであった。武力行使を支持すると明言したわけではなかった。ところが同時多発テロに対しては、国連によるものとはいえ、「軍事的措置」を肯定する態度を明確にしたのである。共産党史上はじめてのことだった。

 

 この同時多発テロに対して、国連安保理は、世界のすべての国に第51条の「個別的、集団的自衛権」の発動を求めた。湾岸戦争時と同じである。冷戦期にはそんなことは皆無だったから、冷戦後になって国連安保理が機能していたのである。ところがアメリカは、湾岸戦争時の多国籍軍のように国連として武力行使を決めるという手段を選ばず、単独で(イギリスなどは加わったが)タリバン政権を打倒するという道を進んだ。報復感情を爆発させることを選んだのである。

 

 共産党の書簡は、テロへの対処という問題の性格上、イスラム世界なども国連で合意するやり方をとらなければ、報復が報復を生むことになるので、そういう単独の道をとることを諫めたものであった。実際、アメリカがこういうやり方を選んだことが、その後のイスラム国の出現やアフガニスタンでの米軍の敗退と混乱を生んだわけで、共産党の2回目の書簡は冷戦後の世界における安全保障のあり方ともかかわる大事な問題提起だったと思う。

 

 しかし、この頃から共産党のなかでは、絶対平和主義の立場からの党員の反発が噴出してくる。そうした状況をふまえ、直後に不破さんはインタビューに答えて、この軍事的措置が「警察的性格」を持つものだと弁解することになる。

 

 昨年の8月、タリバンが大統領府を奪還した際、志位さんが記者会見をしている(「赤旗」8月18日)。そこでは、「(書簡で)テロに対して軍事力で報復することはやめるべきだと表明し、その解決策として、国連憲章と国際法に基づいて、国連を中心に、国際的な警察力、司法の力を総動員して容疑者を捕らえ、法の裁きにかけるべきだと提唱した」のだと説明されている。

 

 これは第1書簡の水準であって、問題を軍事か非軍事かという視点でした捉えていない。軍事的措置を肯定した上で、アメリカ単独の道か、国連による国際社会の合意を重視した道かという第2書簡の観点は、すでに完全に忘れ去られた過去になっているわけである。(続)