安保と自衛隊を当面の基本政策とする方向への転換が綱領からも説明が付くということは、これまで何回か書いてきたので、簡潔に済ませる。綱領は以下のように書いている。

 

 「自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。」

 

 これは安全保障政策における3つの段階を説明している。まずは、自衛隊の「海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる」という段階である。この段階では、安保も自衛隊も残っているのだ。綱領はそれを前提にしている。

 

 その次が「安保条約破棄」の段階である。綱領は、この段階で、アジア情勢に新しい展開が起こると期待している。アメリカが日本を拠点とした軍事介入路線をとれなくなるので、平和的な状況が生まれると考えているわけだ。

 

 しかし、この段階になっても、自衛隊はなくならない。「国民の合意」がないと解消することはない。多くの国民は、自衛隊解消に合意することなどないと考えているだろうから、これは事実上、自衛隊解消はあったとしても何百年だと言っているようなものなのである。自衛隊を支持する世論がどんどん増え続けていることも見ても、この見方は外れていないと感じる。

 

 その自衛隊解消だって、綱領をもう一度見ていただければ分かるが、自衛隊解消に「向かっての前進をはかる」というものだ。「向かう」とか「前進」するとかいう言葉は、普通、それを「実現する」ということとは距離がある表現である。せいぜいそこに「近づく」という程度の意味である。これほど慎重なものの言い方をしているのだ。これなら事実上、何千年も先だと言っているようなものだ。そもそも、共産党が理論的基礎にしている科学的社会主義は、階級社会が続く限り軍隊や警察などの暴力装置はなくならないという考え方なので、綱領がそういう書き方をするのは、当たり前のことなのである。

 

 基本政策とは何かという問題ともかかわるが、私に言わせるとそれは、現在の日本が直面する問題を解決する政策のことであって、綱領の第一段階がそれに当たる。それ以降は、基本政策というより、理念の問題になる。軍事力のない世界は、崇高な理念として位置づけるならば、他党にとっても「そんな考え方もあるよね」となるんぼではないか。

 

 もし野党共闘を大切にし、日米安保堅持を掲げる野党政権が続いても、共産党がそれに「閣外からの協力」をするというなら、そこまで踏み込んで他の野党や国民に説明しないと、「野合」批判は収まることはないだろう。連合の「基本政策が異なる政党だからダメ」という態度を変えることもできないだろう。

 

 私にとっては、この転換は、すでに綱領に書かれていることの解釈の問題であって、簡単なことである。しかし、安保の即時廃棄、自衛隊解消こそが基本政策だと解釈してきた党指導部にとっては苦痛を伴うものだ。しかし、この転換の理論的な基礎も、2004年に綱領を改定したときに与えられていたものである。(続)