共産党のラブコールを立憲が無視するわ、連合は共産党でなければ自民党でもいいという感じでどんどん突っ走るわで、なかなか混迷しているようだ。どうなっていくのだろうか。

 

 それに対して共産党は、「それなら対立候補を立てるぞ」として、次々と参議院選挙区の候補者を発表している。そういう姿勢を示すことが、共産票のほしい立憲を振り向かせるのにもっとも効果的と考えているのだろうが、逆に、威嚇するしか手段はないのかよと思わせるやり方であって、マイナスの効果も大きいだろう。立憲や連合が目の覚めるような「理論」的なアプローチはできないのかね。

 

 この問題をめぐる現状は、起こるべくして起きている問題である。あらゆる問題は、「安保や自衛隊など理念や基本政策が根本的に異なる共産党とは政権をともにできない」という考え方から発している。それが連合が言うところだし、自民党などによる「立憲共産党」という攻撃も、その同じところから出てきている問題である。

 

 問題の性格はそういう単純なものだ。しかし、回答はそう簡単ではない。

 

 共産党がこの問題でパンフを出し、安保廃棄の課題についても、安保があるから戦争に巻き込まれるとして説得を試みるのだが、その回答では説得力がなくて国民が支持するところにならないから、野党共闘政権では自分の立場を留保するしかないのである。反共反撃を試みれば試みるほど、やはり共産党は安保廃棄で国民を説き伏せようとしているのか、それなのになぜ安保容認の立憲と組むのだろうと思わせてしまう。逆に、自分の独自の立場は野党共闘政権に持ち込まないことを強調すればするほど、なぜ毎日発行される「赤旗」はあれほど強い言葉で安保と自衛隊を批判するのかと、国民は疑念を感じる。自縄自縛とはこのことだ。

 

 安保条約と自衛隊に関する理念、基本政策ということで言えば、共産党以外はみんな同じ方向を向いている。誰がどう考えても、与党も野党も含め他の政党が基本政策では同じ方向を向いているのに、その方向が真逆な共産党が1つだけ存在しているのである。そういう政党との政権共闘というものが、野党にとっても国民にとっても大いに違和感をもって受け止められるのは当然のことである。

 

 そもそも共産党自身、2015年に野党による政権を打ちだすまでは、基本政策の異なる政党との政権協力はしないという態度を貫いてきた。その基本政策の中心が安保条約の廃棄であった。新社会党などから九条護憲に限った選挙協力の申し出があっても、私などは実務者の協議で協力はあり得るのではと発言していたが、実務者の間でも受け入れられることはなく、公式にも共産党はそれを拒否し続けた。

 

 その共産党が、現在になって態度を変え、基本政策が違っても政権共闘するのは当然だと言おうとしたら、万人が納得する説明、論理が不可欠なのだ。なぜ昔はダメだと言ったのに、いまはそれを珠玉のように大事にするのかを明らかにしなければならない。そこを欠いたまま、協議に応じないのはおかしいとつっかかるものだから、支持が広がっていかない。それが現状である。ここを打開しようとすると、党綱領の統一戦線論、アメリカ帝国主義論などにも踏み込んだ検討をすることが不可欠となる。(続)