前回で安倍さんの「弱腰」の話は終わりなのだが、安倍さんが「強腰」に出た話もしておこう。安倍さんだって「歴史戦」で頑張ることはあるのだ。それが同じユネスコをめぐる「歴史戦」である。

 

 ユネスコの遺産には3つある。自然遺産(日本では知床とか小笠原、屋久島など)、文化遺産(日本では明治期の産業革命遺産とか)、そして記憶遺産(「世界の記憶」)である。記憶遺産とは、人類にとって重要な記録物(文書とかポルター、フィルムなど)を登録して後世に残しておこうとするもので、日本では「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書(2011年5月登録)などがある。これについては、熊谷博子監督が「作兵衛さんと日本を掘る」というドキュメンタリーを撮っていて、たいへん面白いので機会があったらどうか見てほしい。

 

 さて、その記憶遺産って、自然遺産や文化遺産と異なり、記録物ということで対象が広くなりやすい。そして、2015年、中国が南京団虐殺の記録を申請して登録されることになる。安倍政権は「歴史戦」を挑み、日中間に見解の相違のある問題を中立・公正であるべきユネスコが認めるのは大問題だと批判したが、なにせユネスコの登録制度は、加盟国が申請することが基本要件であって、どこかの国が反対しても登録の障害とはならない。結果、安倍政権は「歴史戦」に敗北した。

 

 さらに2016年、今度は韓国や中国その他の国が、慰安婦問題を記憶遺産で登録しようとする。安倍政権は前年の敗北の教訓をふまえ、今度は、加盟国の異議があれば登録されないような制度にすべきだと主張し、それが認められない限りユネスコの分担金を支払わないという圧力をかけた。その結果、加盟国の異議申し立てがあれば登録はいったん中止され、当事国の間で議論を続けるという新たな制度がつくられたのだ。安倍さんの「歴史戦」の大勝利であった。

 

 ところが、日本が異議申し立てすれば登録されないということは、他国にも同様のことができるということだ。このユネスコの新しい制度はは、あくまで「記憶遺産」に限定したものであって、「文化遺産は関係ない」ということは可能だ。しかし、政治的に微妙な問題を回避する手段として日本が提唱し、ユネスコが認めたものであって、他の遺産でも政治的な争いが生じたとき(さすがに自然遺産ではそういうことはないだろうし、文化遺産だって特殊な事例だが)、その制度の精神が適用されることは明らかだ。

 

 要するに、「歴史戦」というのは、当事者が仲間内で高揚するような戦いをやったところで、いい結果は生み出さないということだ。自己満足でしかないのだ。

 

 安倍さんの問題は論じ終えたが、この問題での左翼の対応にも問題を感じるので、あと一回だけ。(続