第一の弱腰。貴重な価値を持つ佐渡金山の登録が「歴史戦」を戦わないと実現しないような問題になっているのは、そもそも前回の遺産登録の際、安倍政権が韓国に押されて妥協したからである。

 

 朝鮮人強制労働問題が世界文化遺産登録の障害になるのは、よく知られているように今回が初めてではない。2015年に「明治期の産業革命遺産」が登録される際も、同じような問題が生じた。

 

 当時、安倍さんが首相だったわけだが、そもそも「明治期の産業革命遺産」として、「明治期」に限ろうとしたことに、安倍さんの弱腰が如実にあらわれていた。当時問題になった軍艦島をはじめ、ほとんどの遺産が、明治期に役割を終えたのではなく、その後の大正、昭和にいたるまで現役で活躍した。それなのに安倍政権は、登録に当たっての申請書で、「日本にペリーが来航した1853年からロンドンで日英博覧会が開催された1910年まで」と時期を区切ったのだ。政府がユネスコで廃部した文書も「1850年代から1910年まで」と強調しているし(画像)、国内文書を見て1910年に閉鎖したと思わせるような書きぶりである(画像)。

 

 説明するまでもなく、1910年とは、日本が韓国を併合した年である。それを意識させないよう、ロンドンでの日英博覧会という、ほとんど誰も自覚していない年の出来事を、登録に際しての最後の年に持ってきているのである。よほど朝鮮人の労働問題に焦点が当たることを避けたかったのだろう。

 

 「歴史戦」と叫ぶなら、こんな姑息な推薦方式をとるのではなく、植民地支配の時期も含めて登録申請すれば良かったのだ。そして堂々と安倍政権の主張を展開すれば良かったのだ。しかし、安倍さんにはそもそもそんな度胸はなかった。

 

 その結果、韓国側の反撃にあって、妥協を余儀なくされたのである。安倍さんは、その際、総理大臣として「歴史戦」の先頭に立ったのか。そんな話は聞いたことがない。外務官僚に丸投げしたのである。

 

 もしこの時、「歴史戦」の大好きな安倍さんが頑張って、日本の「正当性」を堂々と韓国に認めさせ、栄えて登録を勝ち取っていれば、今回、またもや韓国が問題にするようなことはできなかった。すべては安倍さんの弱腰、妥協、仲間への裏切りが、この問題の根底にあることを知らなければならない。(続)