昨日書いたことの続報。さすがに昨日の立憲常任幹事会では、共産との共闘のマイナス面だけを書いた総括には異論が出て、少し調整することになったそうだが、きっと共産との共闘に前向きだったとして、枝野時代を懐かしむ人もいると思うので、そうでもないことを書いておきたい。

 

 昨夜、ネットを検索していたら、昨年12月11日の神戸新聞の記事が出てきた。枝野さんが神戸を訪れて、党員ら100名を前に講演したという記事である。そこで、今回の立憲の選挙総括の中心の一つである共産党の共闘について触れたそうだ。

 

 共産との「限定的な閣外からの協力」という合意は、「政権は一緒にしないという合意」だというのが選挙総括案の中心的内容であり、そこが共産側の理解とは違うだろうなと思うのだが、実は、それを同じことを枝野さんが講演で話しているのである。記事はこうである。

 

 「また、選挙直前に共産党と結んだ「限定的な閣外からの協力」という合意に関し、「政権は一緒にしないという合意だったが、(政権を共にするという)誤解で世の中を染められてしまった。どこまでが一致点なのか、もっと明確にすべきだった」とした。」

 

 そう、枝野さんと泉さんは、共産との政権共闘問題では、同じ見解なのである。共産党とは「政権を一緒にしない」ことで共通しているのである。

 

 一方で、共産の側は、「政権を取りに行く選挙だ」と位置づけてしまった。そういう感覚で共産党員の多くは闘っただろうし、志位さんも聞くところによると、「自分は99年の党史のなかで政権を取りに行くことを現実的な課題として提示できた唯一の党首」だと自負しているとのことである。そこが強気の選挙総括の背景にあるわけだ。

 

 立憲側と共産側のこの認識の乖離の大きさ。もちろん、「限定的な閣外からの協力」というのだから、いわゆる「閣外協力」とも違うものだったのだ。だから、「政権を一緒にしない」合意だと言えなくもなかったのだ。でも、共産の側は「政権を取りに行く」と意気込んだし、立憲の側はその共産側の見解を否定するのでもなかった。

 

 枝野さんは、「(政権を共にするという)誤解で世の中を染められてしまった」と言うが、その責任の一端は、共産側の見解を否定しなかった立憲の側にある。きっと、共産側があまりにがんばっているので、それを否定しては共産党員の活動力がにぶってしまって票が減るとでも考えたのかもしれないが、そのしっぺ返しを受けたということだろう。

 

 結局、「限定的な閣外からの協力」という合意は何だったのか。小池さんは立憲に対して参議院選挙に向けた協議を呼びかけているが、この合意の意味が枝野さんの言う通りなのか、そうではないのかについて一致しないと、なかなか議論はまとまらないのではないか。

 

 昨日書いたように、枝野さんの言う通りであっても、共産党の綱領上、これが「よりまし政権」であるなら、それほど立憲との違いがあるわけではないので、引き続き野党共闘は維持できると思うのだけれど。どうなんでしょうか。