ホンジュラス派遣だって、自衛隊の海外派遣の実績づくりであり、国民の認知度を高めようとする意図から来たのは明らかだ。とりあえず中米で実績をあげれば、そのうちアジア諸国も受け入れてくれるだろうという、そんな狙いもあったはずだ。

 

 しかし、そうはいっても、自衛隊は人の命を助けにいくのである。それだけは明々白々だ。

 意図が「不純」だからといって、人の命を救うことに反対していては、政党としてはおかしいのではないか。「意図」だって、勝手にこちらが憶測しているだけで、やはり人の命を助けたいというのは、誰にも共通していることかもしれない。だったら、市民運動が反対を貫く場合も、政党は反対してはいけない。

 

 それが当時の私の判断であった。だから、「共産党は自衛隊のホンジュラス派遣に反対しないとメディアに伝えてください」と、私は広報部に連絡したのである。

 

 もちろん、私の判断で、党の態度が決まるわけではない。広報部は、その政策委員会の判断をもって、志位委員長のところにお伺いを立てた。

 

 そうしたら、志位さんの判断は、「おかしいだろ、自衛隊の海外派兵だぞ、当然反対すべきだ」というものだった。まあ、予想されたことだ。

 

 けれども、私も態度を変えるつもりはない。自衛隊の災害対応にさえ、いつまでもいちゃもんをつけるような政党では、国民から不信を抱かれてしまう。共産党のためにも、ここはふんばらなければならない。ということで、その後に表面化する意見の食い違いの走りであった。

 

 困ったのは広報部だ。党内で意見が違っては、メディアに伝えられないのだから。

 

 共産党の常識では、そんな場合、当然、「上級」の判断が優先される。今回も結局はそうなるだろうと思っていた。

 

 ところがだ。いつまで経っても結果の報告が来ないから、広報部に聞いてみた。そうしたら、広報部は、「今回、とくに態度表明をしないとメディアには伝えた」と言うのである。「世の中で起きるすべての問題で態度を表明するわけにはいかないしね」と。別にせんさくはしなかったけれど、広報部も、「反対」ではまずいなあと考えたのだろう。

 

 とにかく「反対」を叫ぶことは避けられた。その後、2001年のインド大地震、2005年のスマトラ沖大地震・津波で自衛隊が派遣された際は、「反対しない」と明言することになる。

 

 ということで、自衛隊に対する立場の違いは、まだまだ大きかったけれど、少しは接近したのかと思っていたのだ。でも、まったく接近はなかったことが、その後の私の退職につながっていったのだった。思い出すなあ(笑)。