台湾有事の議論をする際、いわゆる平和勢力のなかでは、その可能性を否定したり、小さいものだとみなす傾向がある。台湾有事が避けられないからとして、アメリカの軍事介入の準備が進み、日本がそれに追随する傾向が顕著だから、それを批判しようと思えば、「その可能性は薄いのだから、そんなことをしてはダメだ」と言いたくなる気持は分かる。

 

 私とて、台湾有事の可能性が高いと言いたいわけではない。米インド太平洋軍の司令官が2027年までに台湾有事の可能性が高いと発言し、それを軌道修正するような統合参謀本部長の証言などもあったが、中国問題に関する米国防総省の議会への年次報告の最新版などを読むと、「2027年」が一つのキーワードのようになっていて、米軍はやはりこの年を一つの目安として準備を加速しているようだ。

 

 ただ、その報告書の基本認識は、中国がそれまでに台湾情勢を支配するだけの軍事態勢を構築するので、それに対応しなければならないというものだが、同じ米軍関係者の中にも認識が違うものがいる。以前、在沖縄海兵隊の政務外交部次長をしていたロバート・エルドリッジは、「近代戦争に必要な衛星を攻撃する能力を持つ中国はしばらくの間、いつでも台湾を侵攻できる」として、アメリカがそれに対応する防衛システムを配備するのが2027年近くになるので、中国はそれまでに台湾侵攻をするはずだと言うのである(「正論」21.10月号)。

 

 2027年説と言っても、正反対の解釈だ。米軍のなかでだって基本認識がバラバラなのだから、米軍の言うことを前提にものごとを進めるのは愚の骨頂ではある。

 

 しかし、じゃあ、台湾有事の可能性を否定したり、低いとみなすのが正しいのかは、大いに疑問である。理由は二つだ。

 

 一つは、この問題は、中国は台湾を飲み込もうとしていて、台湾はそれを拒否しているのだから、中国が自分の意図を貫こうとすると、武力介入しか選択肢が存在しないのである。いや、私は、中国が武力統一方針を放棄すると宣言できるような国になることが、「一つの中国」への早道だと考えるのだが、中国共産党にそういう思考が生まれるのはほぼ不可能だということである。だから、中国共産党が政権についている限り、どんなにまわりが脅したりなだめたりしても、可能性は消えてなくならない。そうである以上、台湾有事を想定してものごとを考えることを否定してはならない。

 

 もう一つは、もっと大事なことである。日本の平和勢力の存続がかかる問題だ。(続)