率直に言えば、キューバ程度の人権侵害をしている国は、世界に無数にある。社会主義の崩壊をきっかけに、アメリカが人権問題でキューバに挑みかかってきたのは、人権問題を重視したからというより(重視するなら他の国のことも取り上げなければならない)、社会主義に勝利した驕りから、長年のキューバへの怨みをはらすという動機から出たものであった。

 

 国際的な人権問題の権威であるフィリップ・オールストンは、国連の特別手続の対象となるのは流血の事態が引き起こされるような場合であるのに、キューバとポーランドが例外になったのは、「大量の政治的な資本の投資による結果である(とりわけアメリカによる)」と述べている(THE UNITED NATIONS AND HUMAN RIGHTS:A Critical Appraisal,1992)。

 

 人権問題は、そういう要素を持つだけに、深く正確な判断が求められる。ある国が政治的な意図を持って人権問題を取り上げているのに、人権問題だからといってそれに引きずられるというのでは、政治的には負けということになる場合もあるのだ。

 

 この問題での対応の核心は、本当に人権問題を解決するために、果たしてどんな手段が求められるのかということである。北京五輪の外交ボイコットのように、ごく一部の国だけが同調するようなやり方は、圧倒的多数の国を敵に回し、あるいは同盟国の中でも分断を生みだし、結局、中国が人権問題に向き合うのを遠ざける結果になる。

 

 中国の人権問題は、キューバのそれとは違って、本来、国連の特別手続の対象となるような問題である。だって、特定の民族集団の排斥という、ユダヤ人虐殺以来、国際社会が重大な関心を払ってきた問題なのだから。アメリカがジェノサイドという用語をウイグル問題で使うようになっていて、ジェノサイドという用語が適切かどうかという問題はあるが、特定の民族集団を相手にした人権侵害という点では、共通する要素が存在するのだ。

 

 だからこそ、どうやって国際社会を結束させ、中国を国連の手続にかけるのかという視点を欠かしてはならない。そうでないと、ただ政治的に利用されて終わることになりかねない。来年にかけてどんどん大きな問題になっていくので、人権問題は深く勉強して対応しなければならないと感じる。(了)