昨日から開始されたSAKISIRUでの連載は本日2回目。タイトルは「台湾有事勃発で日本の平和運動は瓦解する 〜 今こそ「固定観念」から脱却を」だって。自分が語ったこととはいえ、過激だなあ(笑)。

 

 さて、「外交ボイコット」に関する連載である。これまでいろいろ書いてきたが、私が提起したやり方をしてみたところで、収容されているウイグル族の人々を救い出すことはできない。少なくとも短期的にはできない。

 

 北京五輪を外交ボイコットするやり方も、私が提起するように中国を国連人権理事会の特別手続の対象国にすることも、相手を追い詰めていくという点では同じ手法に過ぎない。外交ボイコットは中国に同調する国を増やすことで、中国がかえって反撃にでることを許すやり方なのに対して、特別手続の対象国にすることに成功すれば、中国の仲間は減っていくので、中国は確実に追い詰められるという違いが出て来るだけである。では、中国というのは、追い詰められれば態度を変えるかというと、そんな柔な国ではなかろう。

 

 ただし、そうやって人権侵害国を追い詰めつつ、同時に、収容所から人々を何百人と救い出した事例が存在する。その結果というだけではないが、国連人権委員会による特別手続の対象国だったのが、2007年になって対象国から外れた国がある。どこかというとキューバである。

 

 収容者を救い出したのは1998年で、キューバを訪問したローマ法王の尽力によるものだ。299人が釈放された。

 

 キューバにおける政治囚の問題は、アメリカが人権委員会で一貫してきびしく糾弾していたものだ。これに対してローマ法王は、囚われているのは政治犯罪の故ではなく刑法違反によるものだとのキューバ側の主張に考慮し、政治囚という言葉を使わず、重病の者、刑期満了に近い者に対する恩赦を求める希望を表明し、それにキューバ側が応えたものである。

 

アメリカはいつも対決型で臨み、勇ましいけれど成果が得られない場合が多い。だから、人々を救うというより、体制批判という目的が優先していると批判されるが、人々を救うという見地に立てば、別のアプローチもあるのだ。

 

 ここまで書いてきて、キューバをめぐる人権問題の歴史を総括することは、現在の中国問題にもつながるような気がしてきた。ということで、次回からはその問題に少しだけ言及しておこう。(続)