いつまでも過去のことを書いても仕方ないので、現在の問題に戻ろう。中国による大規模な人権侵害をどうするのか。それを理由にした「外交ボイコット」をどう考えるのか。

 

 岸田首相は「外交ボイコット」という言葉を使わず、国益をふまえて総合的に自主的に判断すると強調している。これに対して、右翼ネット界隈からは、腰が引けているとの批判が寄せられているのが構図のように見える。

 

 「人権重視か国益重視か」というわけだ。果たしてそんな構図はあるのだろうか。

 

 私は、そんな構図には興味がない。岸ださんが日本の国益のことを考慮してアメリカ追随にならないよう気を遣うのは当然だし、だからといって人権問題を軽視しているとは思わない。「人権重視」を叫ぶ人も、じゃあ日本の国益が損なわれてもいいのかという岐路に立たされるような局面があれば、「日本の国益はどうでもいい」と言うワケでもあるまい。

 

 私が言いたいことは、ウイグルなど中国の人権問題を少しでも解決するために、いったいどういう手段が効果的なのかという問題である。「外交ボイコット」を叫ぶ人は、それをどれだけ真剣に考えているのか、真剣に努力しているのかということである。

 

 「外交ボイコット」で一人でも二人でも、収容所に入れられているウイグルの人を救出できるのだろうか。北京五輪が開始されるまでに、中国政府は少しは反省して、収容所の門を開くことがあるだろうか。

 

 それはまったく考えられない。結局、「外交ボイコット」というのは、ボイコットする国の自己満足、自分は人権のために闘ったという自己陶酔にすぎないのだ。いや、少数の白人国家しか賛同せず(それに日本が加わって白人国家だけではなくなるかもしれないが)、圧倒的多数はボイコットしないとなれば、中国の主張に国際社会の多数は同調したという結果につながる可能性だって存在する。それに力を得て、中国がウイグル族への弾圧を強めれば、誰が責任をとるのだ。

 

 例えば今年の6月、国連人権理事会では、欧米諸国や日本など44か国がウイグルや香港、チベットの人権状況を懸念する共同声明を発表した。それに対して、中国を擁護する声明に署名した国は、アフリカや中東などを中心に69か国に達している。中国の発表によるとその後の追加分を含めると90か国を超えるという。

 

 くり返しになるが、人権を抑圧する国を批判し、圧力をかけるのは当然なのだ。しかし、世界の国々を同調させられないようなやり方では、まったくの逆効果になるのである。「外交ボイコット」を騒ぎ立てる人は、そういう自覚があるのだろうか。そこを克服するための努力を、少しはしているのだろうか。(続)