ダンバートン・オークス会議が決めた国連憲章の草案だが、国連の目的について、「国際の安全と平和の維持である」というだけであった。目的や原則を述べた箇所には、人権など一言もなかったのである。

 

 人権という言葉が出てくるのは、総会が人権を担当するとして、社会経済分野での協力を記述した箇所に、人権と基本的自由を促進するとされただけである。もっとも権限のある安保理の仕事とはせず(従って、人権問題では加盟国を強制できる決議は出せず、総会がただ「勧告」するだけの課題でしかなかった)、しかも社会経済という部分的な範囲のものだという認識だったというわけだ。

 

 この会議に参加したのはアメリカ、イギリス、ソ連、中国。戦後、ドイツや日本を「人道に対する罪」で裁こうとしていた国々だ。ところが、ドイツや日本を裁くことには意欲満々でも、もし国連憲章に人権が国際問題という考え方が入ったら、いつ自分たちも裁かれることになるか分からない。だから、草案に入れることは止めておこうということになったというわけだ。

 

 人権への言及を避けるために積極的に動いたのは、イギリスとソ連だった。イギリスは、植民地問題を抱えているため、憲章が人権に言及すると国内問題への干渉になるとして断固として反対した。ソ連も、国連の目的は安全保障であって、人権はそれとは関係のない事項だと表明した。中国(蒋介石政権)はさして関心がなかったらしい。

 

 アメリカの名誉のために言っておくと、この会議までは責任者だったコーデル・ハル国務長官(あのハル・ノートのハルである)も人権問題への言及には消極的だったが、アメリカ代表団の全体はいろいろがんばった記録が残っている。だから、サンフランシスコ会議での修正も容易におこなわれたということである。

 

 現在、「外交ボイコット」を騒ぎ立てている国は、ほとんどが白人国家である。そういう国はは、国連憲章草案の時点では、人権が国際問題となるような世界は拒否しようとしていた。そこにはまだ白人国家優先の世界観が反映していたのである。

 

 だから、国連憲章の草案が発表されると、人権問題で闘っているNGOはもちろん、連合国に参加した他の中小諸国(白人国家ではない)から批判が殺到する。当然だろう。だって、人権と自由が戦争の目的だとされて参戦したのだが、それは大国による人種差別に反対する論理にもつながっているからだ。戦後の国際組織がその種のものになることへの期待があって参戦したのである。

 

 そこで、例えば中南米諸国は、45年3月、メキシコのチャプルテペックで集まり、国連のあり方への意見をまとめた。そこでは、人権を戦争目的とした大西洋憲章の原則に言及すべきこと、言論の自由を侵さないこと、人種や宗教での差別をしないことなどを憲章に入れるべきことが宣言されたのである(この宣言は「集団的自衛権」につながることを求めたことで有名だが、人権問題でも意味のある会議だったのだ)。

 

 これらの結果、ようやく、国連憲章は、われわれが目にしている水準のものとなる。しかし、だからといって、「人権は国際問題」と簡単にはならず、その後も苦難の道のりが続くことになるのであった。(続)