台湾問題の本、こういうタイトルで書き始めました。「始めた」と言っても、材料は揃っているので、そんなに時間はかからないでしょう。とりあえず、「はじめに」を書き終え、全体の構想案とともに出版社に送ってみました。その「はじめに」だけをご紹介します。

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 台湾有事をめぐる議論が喧(かまびす)しい。それが日本と日本国民にもたらす深刻な結果が目に見えるだけに、論じる人の政治的な立場がどうあれ、そのような議論が起きるのは当然のことだ。

 

●抑止力を強化するのは一つの手段だが破綻することもある

 

 しかし、その議論の仕方は偏っていないだろうか。政治的な立場を超えて、中国の侵攻により台湾有事が発生することを前提に、別の言葉で言えば、台湾侵攻方針を中国に撤回させる選択肢は考えないで、議論が進んでいるのではないだろうか。

 

 現在行われている議論の主流は、台湾有事を想定して、それを阻止するに足る米軍の態勢強化を訴え、日本や自衛隊の役割を論じるものだ。この種の議論をする人は、こうやって軍事力を強化することこそ、中国が暴挙に出ることを抑止する道であり、台湾有事を起こさない保障だと考えていると思われる。

 

 抑止力というのは、中国が台湾侵攻に踏み切れば、中国もまた壊滅的な打撃を被るのを自覚させることを意味している。そのためには、中国の拡大する軍事能力を上回る軍備の拡張が必要となるし、中国の面前で軍事演習を行うことなどにより、有事には実際に介入するという意思を伝えることも求められる。世界最大の軍事大国であるアメリカが、相手国に対してそういう意思を伝えることに成功すれば、それに逆らって軍事行動を起こす国は出てこないのが常識的であろう。この議論をする人は、平和運動家がよく批判するように、別に戦争をやりたがっているわけではなく、この道を進めば中国は手を出せないし戦争にもならないと、心から信じているのである。

 

 けれども、この議論においては、その抑止が破れて、実際に戦争になることへの危惧や懸念はあまり語られていない。抑止が破れる可能性は二つある。

 

 一つは、不測の事態が発生することである。南シナ海などにおいて、米軍と中国軍が衝突の一歩手前の事態に至ることが報道されているが、極度の緊張を現場の軍隊が強いられるなかで、軍の指導部が予期しない問題が発生する可能性はゼロではない。中国軍には普通の軍隊なら備えているはずの軍同士のルールに対する順法精神が欠けているところがあるから、余計に心配である。

 

 もう一つは、アメリカが反撃に出ることを理解させようとしても、中国がそれを無視する可能性である。一般的に言えば、テロリストなどと違って、中国にはアメリカが本気で反撃すれば、自国も壊滅的な打撃を被ることへ理解能力は備わっている。しかし、中国にとっての台湾というのは、それを理解したうえでなお、何としても統一を成し遂げるべき対象なのだ。日本を含む列強に国土を蹂躙された過去の怨念の最後の残りかすが台湾なのであって、統一を抜きに国民感情が穏やかになることがないとすれば、多少の犠牲を払ってでもアメリカや日本が望まない行動に出る可能性は否定できない。

 

 アメリカはその可能性を真剣に考えている。何と言っても、戦後ずっと抑止力で戦争を防ごうとしたが、その抑止が破れて戦争になったことをどの国よりも体験しているからだ。その他意見から、米兵が犠牲になることへの覚悟もある。

 

 ところが、日本での議論を見ると、戦争の勃発やや犠牲の広がりは、あくまで観念上のものとなっており、真剣な検討の対象になっていないように見える。これらをどう考え、どう対処するのか。その検討を欠いた議論はリアリティが欠けており、適切ではないと考える。(続)